2024年1月7日日曜日

伝送者の書 1章

 「空の空。伝道者は言う。
 空の空。すべては空。
 日の下でどんなに労苦しても、
 それが人に何の益になるだろうか。」(伝道者の書1:2~3)

著者のソロモン王は、人間社会は空だと述べました。英語聖書では、Emptinessではなく meaningless と訳されています。人間の労苦は無益で、空しく、意味がないと感じられるがそれは本当だろうか。それを検証するのがこの書の目的です。

「般若心経」は七世紀から知られるようになりましたが、色即是空、空即是色と語っています。お釈迦様は紀元前500年頃の人ですが、伝道者の書はそれより500年古い時代のものです。

ソロモンは、領土を拡張し、絢爛豪華な宮殿と壮麗な神殿を建設し、軍備拡張、貿易振興、王国の絶頂期を指導したばかりか、その知識や知恵において抜きん出た賢帝でした。

あなたはどう考えますか。正直者が馬鹿をみる社会だと感じますか。差別を受けてきましたか。女性の賃金が男性より2030%低い日本社会をどうみますか。やるせない経験をしたことがありますか。

「地はいつまでも変わらない」(4節) 
 4~7節でソロモンは自然の営みに目を向けました。人は生まれ、人は死ぬ。時代が進んでも何も変わらない。日はまた昇り、日は沈む。風は吹いては元に戻る。川は流れ、海は満ちることがない。
 鴨長明の「方丈記」の冒頭、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて久しく、とどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」を思い出します。

「日の下には新しいものは一つもない。」(9節) 
 8~11節においては、人は新しいものを求め続けると語りました。けれども、本質的に新しいものは存在しないというのです。毎日の生活で起きたことは新しい歴史になっていくはずですが、時間の経過とともに忘れられてしまう。だから空しいものだとソロモンは考えました。

「すべては空しく、風を追うようなものだ。」(14節)
 ソロモンは、社会、世界、人生を真剣に見つめる作業に取り掛かりました。それはとてもつらいものだと述べています。

「知恵と知識を、狂気と愚かさを知ろうと心に決めた。」(17節)
 
ソロモンが用いた方法は良い知恵からも邪悪な動機からも物事をとらえ直す方法で、正面も裏も、善意も悪意も、あらゆる角度から検証することにしました。だから、とても心が疲弊する作業になりました。

自分の労苦が無益で空しいものならば、悪事を選ぶ人も出てきます。また、社会に失望して自暴自棄に陥る人もいるでしょう。

伝道者の書にはいくつかのキーワードが出てきますが、「日の下で」という言葉に注目して下さい。すべてを網羅した表現に見えますが、果たしてそうでしょうか。

15節には伝道者の書ならではの慰めの言葉があります。

「曲げられたものを、まっすぐにはできない。
 欠けているものを、数えることはできない。」(15節)

変えることのできるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる平静さを与えたまえ、というニーバーの祈りを彷彿させます。

不条理な世界を直視するところから伝道者の書は始まりました。たとえ残酷で空しい世界であっても、悪を選ばず、捨て鉢にならず、愛と誠実さを貫く生き方があるはずです。ご一緒にそれを見つけて行きましょう。

□不条理な社会が目の前に横たわっています
□私たちの労苦や誠実さは無駄になるのでしょうか
□「日の下」にとらわれない別の視点を教えて下さい

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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