10章のテーマは愚かさです。
伝道者の書には愚かさという言葉が30回ほど使われていますが、10章には8回も出てきます。伝道者の書の冒頭部分に「狂気と愚かさを知ろうと心に決めた」(伝道者の書1:17)とありましたが、それは死を見つめることによって生を考えるのと同じ発想なのです。愚かさを見つめることで本当の知恵を見出せます。愚かさが社会に与える悪い影響が分かれば、知恵が不平等な社会への光となることが分かります。
「死んだハエは、調香師の香油を臭くし、腐らせる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。」(伝道者の書10:1)
死んだハエとは愚かさです。香水を作る過程で1匹のハエが混入して死んでしまえば、高価な香水は廃棄するしかありません。わずかな愚かさが社会全体を腐らせるのです。
「私は、日の下に一つの悪があるのを見た。それは、権力者から出る過失のようなもの。愚か者が非常に高い位につけられ…」(5~6節)
この記述は現代の政治腐敗を言い当てています。王や権力者は政治献金をする業者を優遇し、企業は大口の公共事業を受注し、手抜き工事をし、有害物質を認可してもらい危険な食品や薬や農薬を販売し大儲けします。こうした権力者の愚かさが国民を苦しめます。
16節では、幼い王を担ぎ上げた悪賢い政府高官が暗躍し、私腹を肥やす様子が書かれています。20節では、独裁者が支配する国では寝室の中で語る政治批判でさえ調査され処罰を受ける危険が指摘されています。
愚かさとは何でしょう。理解力が足らないとか頭が悪いという意味ではありません。「ねたみ、ののしり、高慢、愚かさ」(マルコ7:22)とあるように、主イエスは人間の心から出て来る罪のリストの中に愚かさを含めています。パウロも「人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望」(第1テモテ6:9)と説明しています。
殺人、盗み、姦淫などの罪は、どちらかというと衝動的で粗暴です。愚かさというのは、むしろ悪賢さを意味します。罪と分かって犯す確信犯で、知能犯です。自分の欲望を追求する邪悪な行動プロセスです。社会には愚かさが満ちています。本当の大悪党は隠れています。
では、知恵とは何でしょう。神のみこころと言えば分かりやすいです。愚かさの対局にあるのが知恵です。社会を潤し、不平等を解消し、人々が幸せに過ごすために役立つものです。
「斧が鈍くなったときは、刃を研がないならば、もっと力がいる。しかし、知恵は人を成功させるのに益になる。」(10節)
鈍くなった刃を研ぐには時間がかかりますが、研いだならその後の作業は飛躍的に楽になります。
神のみこころを見つけるために考え、祈ることは心を研ぐことです。知恵を授かったら静かで強い確信をもって行動できます。9章から10章にかけて、知恵の素晴らしさが語られています。
「知恵は力にまさる」(9:16)
「知恵のある者の静かなことば」(9:17)
「知恵は武器にまさり」(9:18)
あなたの前にはどんな事柄が横渡っていますか。愚かになって自分の利益だけを求める事もできます。知恵を求め、知恵を実行するのは困難で勇気がいりますが、不平等で罪の多い社会を神の国にする働きに参加できます。パウロは言いました。「愚かにならないで、主のみこころがなんであるかを悟りなさい」(エペソ5:17)
□愚かさを捨て去ろう
□主のみこころを求め心を磨き知恵を得よう