ヨハネは7つの奇跡を取り上げ、主イエスが神の子、救い主であることを論証しました。その5番目の奇跡が湖を歩く事でした。
今回の奇跡は誰かを癒したわけではない、霊的に深い説話をされたのでもない、主イエスが水の上を歩いて来られただけでした。ルカはこの奇跡を載せていません。
ヨハネはなぜこの奇跡を選んだのでしょう。
ヨハネ6:16~18を読みましょう。5千人の給食という偉大な奇跡を経験した夜、十二弟子はガリラヤ湖で舟に乗り向こう岸を目指しました。
東西13キロほどの小さい湖ですが、風が強まり、いくら漕いでも湖の中央付近で進めなくなりました。実は、主イエスは山の上で祈っておられたのです。(マタイ14:23)
そして、二十五ないし三十スタディオンほど漕ぎ出したころ、弟子たちは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」(ヨハネ6:19~20)
湖の上を歩く奇跡は五千人の給食の夜なので、マタイ、マルコ、ヨハネは忘れがたい連続した出来事として記録に残しました。ルカは意図的にこの奇跡を省いています。奇跡を見たのは十二弟子だけで、ルカにはその場にいませんでした。ルカの読者である教養あるローマ人はこの奇跡を受け入れないだろうとルカは判断したのでしょう。
では、ヨハネがこの奇跡を5番目の奇跡として選んだのはどうしてなのでしょう。水の上を歩く主イエスの姿が凄まじかったからです。圧倒されたのです。まさに神としての姿だからです。
「神はただひとり、……海の大波を踏みつけられる」(ヨブ記9:8)
もう一点。疲れ果てた時、長くて暗い夜、体も心も弱り果てた時、主イエスが「わたしだ。恐れることはない」と言って下さった事が大きな励ましになったのです。この短い言葉がヨハネの心に染みました。
<わたしだ>と言う言葉は、神がモーセに燃える芝の中でご自分のことを明かされた時と同じでした。「わたしは『わたしはある』という者である」(出エジプト記3:14)
ヨハネのその後の人生で辛い出来事や迫害に遭遇したり、深い孤独感を覚えたり、努力しても物事が好転しない時などに、この時の主イエスの姿と言葉を思い起こし、新たな力をもらったことでしょう。
この苦しみのときに彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から導き出された。主が嵐を鎮められると波は穏やかになった。波が凪いだので彼らは喜んだ。主は彼らをその望む港に導かれた。(詩篇107:28~30)
□暗い夜、嵐の日、努力しても前進できない時、あなたは一人ではない、主イエスはあなたのために祈っておられます
□主イエスは湖の上をあるいてあなたに近寄り、「わたしだ、恐れることはない」と言って下さいます
□主イエスはあなたの嵐と波を静めて下さる神です