2024年9月1日日曜日

ヨハネ6:34~51 永遠のいのち 

 まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。(ヨハネ6:47)

 今日は、永遠のいのちについて考えましょう。
 「永遠のいのち」という言葉は共観福音書に各3回程度しか登場しません。ヨハネの福音書では17回も使われています。それは、ヨハネの福音書が他の福音書と強調点が違い、イエスさまと私たちとの関係性に焦点を当てているからです。

言い換えるなら、主イエスさまをどのように信じたらよいか、信じた人にはどんな祝福が与えられるのかがヨハネの福音書で詳しく語られています。今日の箇所では、主イエスが永遠のいのちについて繰り返し語り(40節、44節、47節、51節)、信じる者に永遠のいのちを与えようとしていることが分かります。

イエスさまはご自分が天から下って来た「いのちのパン」(ヨハネ6:35)であると語られました。人々は明日のパンがほしいだけなので、議論は空転して平行線のまま終わってしまいました。34~40節は永遠のいのちについての主イエスの説明。41~42節は、天から下ったパンとは理解できず批判する人々の声。43~51節では、父なる神に導かれる人は主イエスの語ることを理解できると語られました。

 主イエスを信じたあなたに質問します。あなたは永遠のいのちを持っていますか。永遠のいのちはあなたにとって意味がありますか。永遠のいのちをリアルなものと感じていますか。あなたの臨終が近づいた時に永遠のいのちの理解は役にたちますか。

 永遠のいのちを理解するために主イエスが語られた39~40節に注目して下さい。

わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。
 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。(39~40節)

街頭で宣伝用ティッシュペーパーを受け取ることがありますが、特段の喜びもなくポケットやバッグに入れます。信じた者に与えられた永遠のいのちという祝福も、ティッシュ小袋程度の認識の人がいます。

主イエスは重大なことを言われたのです。永遠のいのちを持つことは、父なる神のみこころなのです。愛に満ちた父なる神が私たちのために準備しておられる新たないのちなのです。全宇宙と私たちを創造された全能者が、永遠のいのちを与えるとお決めになったのです。永遠のいのちは、父なる神がご計画された救いの中心的祝福なのです。

ヨハネは、永遠のいのちを「持つ」と説明しました。ヨハネは福音書だけではなくその手紙においても、「永遠のいのちを持っていることを、あなた方に分からせるためです」(第一ヨハネ5:13)と書いています。永遠のいのちはしっかりと持つことができるものなのです。

わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。(6:51)

 永遠のいのちは父なる神が用意された素晴らしいギフトです。

 「罪の報酬は死です。しかし神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)

 □主イエスは天から下って来たまことのいのちのパン
 □主イエスを信じた者は、永遠のいのちを持っている

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