イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31~32)
これが今回の中心聖句です。主イエスを信じた人にその時だけの一時的な信仰決心で終わらせず、ずっと信じていてほしいと主イエスは願いました。主イエスの弟子として生きてほしいと主イエスは期待しておられます。そうすれば、真理が分かり、束縛から解放されて自由になるからです。
これを聞いたユダヤ人は、33、39、41節で反発しました。
「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。」
「私たちの父はアブラハムです。」
「私たちにはひとりの父、神がいます。」
自分たちは誰の奴隷にもなっていないから自由にされる必要はないとユダヤ人は反論しました。アブラハムを祖先とする血筋が自分たちを守ると考えたからです。
頑強な反論を受けたので主イエスの語調は強くなりました。まず34節で、自分がしたくない罪を行っている現状こそが罪の奴隷状態だと指摘されました。
さらに44~45節によると、ユダヤ人たちが「父」と呼んでいる存在は本当は悪魔なのだと解明されました。悪魔の本質とは何でしょう。①人殺し。②真理なし。③偽り。
悪魔は反対者を排除するために暴力を使います。その究極は殺人です。ユダヤ人当局者が主イエスを殺そうとするのはそうした表れです。(37~38節)悪魔に真理は無く、空っぽです。あるのは自己顕示や欲望追求です。そして、人々を洗脳し誘導するために平気で嘘をつきます。悪魔の影響下にある人々は悪魔に似てきます。
神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。(8:47)
31~32節の中心聖句に戻りましょう。
信じた人は救われます。でも信じただけの人だけでは社会を変える力にならないのです。 世界は主イエスの弟子を必要としています。
聖書を読み、主イエスの言葉を注意深く聞き取り自分の内に蓄えましょう。そして、主イエスの言葉を実行しましょう。それが主イエスの弟子の生き方です。福音を伝え、神の栄光をあらわし、神の国を実現するために、主イエスの弟子が用いられるのです。
学生応援団の人たちは、何点差で負けていても応援を続けます。大量得点差で引き離されても、選手が戦意喪失したとしても、応援団は決してあきらめません。主イエスは「わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヘブル13:5)と言われました。主イエスは私たちが主イエスの弟子になることを期待し応援を続けておられるのです。主の弟子になりましょう。その応援に応えて主イエスの言葉にとどまり続けましょう。
「わたしにとどまりなさい。」(ヨハネ15:4)
□主イエスのことばにとどまろう。
□主イエスの真理が私たちを解放する。
□主イエスの弟子になろう。