前半は、パリサイ人らが脅迫的な尋問を行いましたが、生まれつきの盲人だった男性から言質を取れず彼を追放した内容です。
後半は、主イエスがその男性の信仰告白を助ける場面になっています。
「神に栄光を帰しなさい」(ヨハネ9:24)という言葉は、俺たちの意向に沿って証言してイエスは罪人だと言いなさいという意味でした。
彼は答えた。「あの方が罪人かどうか私は知りませんが、一つのことは知っています。私は盲目であったのに、今は見えるということです。」(ヨハネ9:25)
生まれつきの盲人は宗教権威者の圧力を感じながらも、それを跳ね返し、彼だけが言える力強い証言をしました。
あなたにも主イエスを信じて変えられた「一つのこと」があるはずです。
パリサイ人たちはその男性への圧力をさらに強くして、イエスがどこから出た者か身元が怪しいと述べました。(29節)
盲人は、イエスが神から出たのは明白であり、目を見えるようにした奇跡がその証拠だと述べました。(30~33節)パリサイ人らは議論に負けたのですが、腹いせに彼を会堂から追放しました。(34節)
イエスは、ユダヤ人たちが彼を外に追い出したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」その人は答えた。「主よ、私が信じることができるように教えてください。その人はどなたですか。」
イエスは彼に言われた。「あなたはその人を見ています。あなたと話しているのが、その人です。」彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。(ヨハネ9:35~38)
主イエスは、追放された男性の事を聞いて、見つけ、声をかけ、信仰告白の場を用意されました。愛の最初のアクションはいつもイエスから始まります。
主イエスが彼の目を開かれた目的は男性が主イエスを見るためであり、また、信仰告白に導くためだったのでしょう。
男性は目の前にいる方が旧約聖書の預言した救い主だと分かり、「主よ、信じます」と信仰告白をして、自然な形で礼拝しました。すでに心で信じていた事を口で告白したのです。
弟子のトマスが復活の主イエスに出会って信仰告白した場面と良く似ています。ヨハネの福音書の執筆目的への正しい応答が信仰告白なのです。
生まれつきの盲人は主イエスに対する信仰を持ち、その結果、素晴らしい恵みを3つ得ました。
第一は、目が見えること。信仰を持った結果、その人にとって一番必要だった神のわざを経験できます。
第二は、勇気です。男性は宗教権威者に流されずに真実を証言する力を得ました。私たちも主から勇気を与えられ、正しい道を選び、主イエスを証しできます。
第三は、礼拝者になることです。信じた私たちは、主イエスに感謝と賛美を伝え、主イエスの言葉に耳を傾け、主イエスのように歩みだそうとします。
□私たちは主イエスによって目を開いて頂きました
□信仰ゆえの勇気を頂いたので主イエスを証ししましょう
□主イエスを礼拝する者として生きていきましょう