2025年1月19日日曜日

ヨハネ11:28~37 イエスの涙 

マルタはこう言ってから、帰って行って姉妹のマリアを呼び、そっと伝えた。「先生がお見えになり、あなたを呼んでおられます。」(ヨハネ11:28)

家の戻ったマルタは、大勢の弔問客に悟られないようにマリアだけにそっと主イエスの意向を伝えました。共同訳聖書では「耳打ちした」と訳されています。がさつなマルタが細心の注意を払っています。マルタのこの態度はどうして生まれたのでしょう。

それは、マルタが個人的にイエスさまに心にあることをすべて語り、主イエスの言葉をしっかり聞き取ったからです。かつて、マリアが主の足元で主イエスの言葉を聞きましたが、今回は、マルタが聞いています。しっかり聞いたマルタは主のこころを悟ったので、そっとマリアに伝えたのです。 今、主イエスがあなたに何を語っておられるか聞こえますか。

 

マリアはすぐに立ち上がり家を出ました。そばにいた人々はマリアが墓に行くと誤解して、一緒に泣いてあげようと思ったのですが、いらぬおせっかいでした。マリアは村の入り口におられた主イエスに会うと、足元にひれ伏してマルタと同じ言葉で抗議しました。(32節)そこで言葉は止まり、深々と泣き始めました。一緒について来た人々は、その様子を見て大音量で泣き始めたので、その場は収拾がつかないほど混乱しました。主イエスはもう何も話せません。

本来のマリアなら、みなさんお帰り下さい、私はイエスさまとだけ静かに話したいのですと言えたはずです。また、主イエスを尊敬する人達なら、私たちがいると邪魔になるとその場から離れ去ったでしょう。主イエスは、その光景を見て憤りを覚えたと書いてあります。

深い霧が周囲の景色を消し去るように、極度の悲しみや激しい感情の揺れが神の愛と神の栄光を見えないようにします。たとえ同情の涙ですら、主イエスさまの意図を邪魔することがあります。

あなたには主イエスの笑顔が見えますか。悲しみの涙や強い憤りが主イエスさまを見えなくし、主イエスさまの声をかき消していませんか。

 

イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になった。そして、霊に憤りを覚え、心を騒がせて、「彼をどこに置きましたか」と言われた。彼らはイエスに「主よ、来てご覧ください」と言った。イエスは涙を流された。(ヨハネ11:33~35)

主イエスの涙の理由は何でしょう。
 厳密にいえば、涙の理由は他人からは分かりません。本人が嬉しすぎて泣いているのに、周囲からは悲嘆の涙と受け取られることもあります。また、今流れている涙の理由が本人にも分からない場合すらあります。

「主イエスは涙を流された」とあります。周囲の人々は主イエスがラザロを愛するあまりその死を悲しんだものと理解しましたが、聖書の言葉を読むと違います。

主イエスさまはマルタにしたようにマリアにもしてあげるおつもりだったのでしょう。マリアの深い悲しみと周囲の人々の抗議を伴う激しい泣き声がすべてを台無しにしました。主イエスは霊の憤りを覚え、心を騒がせた中で計画を変更され、ラザロをすぐによみがえらす事にされたのです。

子供を亡くしたナインのやもめ、そして、娘を亡くした会堂管理者に対して主イエスが「泣かなくてもよい」(ルカ7:13、8:52)と言われた事を思い出して下さい。主イエスもマリアにそう言って復活の希望を語ろうとされていたのです。

□マルタのように、主イエスのみこころを悟って、行おう
□神の栄光と神の愛は、涙の向こうに必ずある

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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