ヘブル4:15にあるように、主イエスは私たちの弱さに同情できない方ではなく、私たちと同じように試みにあわれた方です。
新生児の皮膚のような柔らかく傷つきやすい心を主イエスも持っておられました。それは、主イエスがマリアの涙や会葬者の泣く姿を見て、心の深い部分で憤り、また、涙され、そして、今回の箇所のようにラザロの墓に行く途中で再び憤られたことからも分かります。主イエスが心を上下させたのは、マルタやマリアやラザロに対する友情の強い表れです。
イエスは再び心のうちに憤りを覚えながら、墓に来られた。墓は洞穴で、石が置かれてふさがれていた。(ヨハネ11:38)
神の栄光の前には、たいてい大きな石という障害物が横たわっています。神の栄光の現れを邪魔するものとは何でしょう。目に見える現実の厳しさは石です。私たちの心の中に潜む弱さも石になります。マルタは、ラザロの腐敗臭をかぐことが辛すぎると考えたので、主イエスの言葉を拒否しました。
イエスは言われた。「その石を取りのけなさい。」死んだラザロの姉妹マルタは言った。「主よ、もう臭くなっています。四日になりますから。」イエスは彼女に言われた。「信じるなら神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。」(ヨハネ11:39~40)
人は二種類に分かれます。神の栄光が現れる前に信じる人。そして、神の栄光を見てから信じる人。あなたはどちらでしょうか。45節の人々は栄光を見てから主イエスを信じました。
マルタはどちらでしょう。身内の腐敗臭への拒否感が強ければマルタは最後まで墓の前に立ちはだかり、石の移動を拒んたことでしょう。でも主イエスの言葉に励まされ、石を転がすことを受け入れました。マルタは、神の栄光を見る前に信じる人へとほんの少しですが引き上げられたのです。
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いてくださったことを感謝します。(ヨハネ11:41)
主イエスは、神の栄光の現れる前に、すでに、先取りの感謝の祈りをささげています。
「ラザロよ、出て来なさい。」(43節)
主イエスは墓に入ったりラザロに手を貸したりしていません。ぐるぐる巻きの状態でしたが、ラザロは一人で出てきました。神の栄光は、向こうから歩いてくるのです。
あなたが石を取り除き、主イエスが命じれば、神の栄光はあなたの前に現れます。あなたの予想を超えた事が起こるから神の栄光なのです。
あなたが願う神の栄光とは何ですか。それを邪魔する石とは何ですか。今の時点で、願いがかなったと受け止める先取りの感謝ができますか。
主イエスはあなたと共に喜び、共に憤り、共に涙し、素晴らしい神の栄光の瞬間を用意して下さる最高の友なのです。
□主イエスはあなたを友として接して下さいます
□信じるなら神の栄光があらわれます
□先取りの感謝をしてみましょう