ラザロの復活は、12月の宮きよめの祭りと春に行われる過ぎ越しの祭りの間に起きた出来事です。
マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。しかし、何人かはパリサイ人たちのところに行って、イエスがなさったことを伝えた。(ヨハネ11:45~46)
ラザロの復活を見て、主イエスを信じる人が大勢あらわれました。
その一方で、ラザロの復活を見ても信仰は持たず、パリサイ人に報告する人もいました。ただし、主イエスの反対者ですらラザロの復活を目撃したのでその奇跡を否定できません。
最高法院が緊急招集されました(47節)。議題はラザロの復活の真偽の調査ではありません。ラザロの復活の影響が今後どうなるかの予測と今後の対策でした。
議員たちは落ち込んでいました。奇跡が行われたのに何も対処しなかったという過去を猛省しました。このままにしておくと、主イエスを信じる者が大多数となり、クーデターが起き、ローマ政府に鎮圧されてユダヤ王国は滅びると悲観的な未来を考えました。
しかし、彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは何も分かっていない。一人の人が民に代わって死んで、国民全体が滅びないですむほうが、自分たちにとって得策だということを、考えてもいない。」(ヨハネ11:49~50)
最高法院の様子や大祭司カヤパの発言は、アリマタヤのヨセフやニコデモの証言によるものでしょう。大祭司の言葉は、彼が自分から話したのではなく、神が彼の口を用いた預言になっていました。いみじくも主イエスの十字架の意図を解き明かすものになったのです。主イエスは、人々の救いのためにご自分の命を投げだされたのです。
ユダヤの最高会議は主イエス殺害を決めました。(53節)
主イエスは指名手配されたので、エルサレムに残ることはできず、できるだけ人目につかない荒野に近い場所で過ごし(54節)、過ぎ越しの祭りになるのを待っておられました。人々は主イエスが過ぎ越しの祭りに来ることを期待しました。どんな奇跡が見られるかという興味もあったのでしょう。
大祭司たちはラザロを殺害する計画まで立てました。(ヨハネ12:10)ユダヤ当局者が主イエスを逮捕し殺害に導いた事は歴史上の事実であり、それはまた、ラザロの復活が本当にあったという事を裏付ける結果にもなるのです。
世の中は不正と悪に満ちている。まるでタペストリーの裏側を見るようなものです。勝手な色の糸が何本も無秩序に縫われていますが、その布を裏返すと美しい模様が描かれています。
ユダヤ当局者がラザロの復活を知っても心を固くし主イエス殺害を企てたとしても、人類の罪を救うための十字架の計画は実現されたのです。
□反対者たちもラザロの復活を事実と認めた
□たった一人の死が大勢の人を救う
□不条理な出来事の背後に神のご計画が隠れている