イースターの朝から夕方までの間、十二弟子が持っていた悩みは、①恐れ、②復活を信じられない、③今後のプランが立たない、の3つだと思われます。
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。(ヨハネ20:19~20)
十二弟子はユダヤ人による逮捕と処刑を強く恐れていました。ですから鍵をかけて部屋の中で静かにしていたのです。そんな部屋の中に主イエスは突然現れ、平安があるようにと言われました。弟子たちの必要にぴったりフィットする言葉でした。
主イエスは弟子たちの疑問を先取りして手と脇腹をお見せになり、私だと証拠を示されました。マグダラのマリアの証言では弱かった復活の確信が主イエスを目の当たりにして力強く得られました。ハレルヤ!主はよみがえられたと喜んで言えました。
イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」(ヨハネ20:21)
主イエスは十二弟子を世界に派遣すると言われました。明日からどうしたら良いかと思っていた弟子たちに明確な目標が与えられました。
あなたに今、恐れがありますか。信仰が揺らいでいませんか。主にあって、今後のプランや期待がありますか。主イエスがイースターの夕方に現れ語って下さったことはすべてあなたの今に役立ちます。
福音を世界に伝えるために聖霊の助けと導きが予告されたことは大きな力でした。今後、エルサレムに留まりペンテコステに聖霊を受け、十二弟子の働きはダイナミックに進みだすことになります。主イエスは弟子たちに息を吹きかけ、聖霊を受けよと言われました。(22節)
また、主イエスは誰かの罪を赦しなさいとも言われました。(23節)ペテロが3度主イエスを知らないと言ったことや、弟子たちが主を見捨てて逃げ去ったことはお互いにとって後味の悪いものでした。ですから、派遣されて行く前に弟子たち相互に赦すことが必要だったのだと私は理解しています。ペテロを赦す、トマスを赦す、ユダを赦す。
24節から29節では意固地になったトマスの姿が描かれています。主イエスを愛し慕っていたトマスは、自分だけが主イエスに会えなかったことを根に持ち、主イエスの釘の痕に指を入れないと信じないと言いました。その場に主イエスはいませんでしたがトマスの発言を全部聞いておられたのは8日後に分かります。トマスに現れた主イエスは、あなたの指を入れなさい。「信じる者になりなさい」(27節)とトマスに言われました。
トマスは「私の主、私の神よ」(28節)という言葉で信仰告白をし、主イエスへの献身と従順を表明しました。
ヨハネの福音書が書かれた目的が31節に書かれています。主イエスを救い主として信じ受け入れ、まことの命を受けるために7つのしるしを中心に書かれたのがヨハネの福音書でした。
□恐れるな。主イエスが共にいて平安を下さる
□あなたも主に遣わされている
□聖霊を受けよう、人を赦そう
□主は、よみがえられた私の主、私の神