2025年12月14日日曜日

第一サムエル5:1~12 主の手が

戦いに負けたイスラエルの民はきっとこう考えたことでしょう。
 神の箱は何の役にも立たない。神は無力だ。
 果たしてそうでしょうか?

イスラエルとの戦いに勝ったペリシテ人は、戦利品として神の箱をアシュドデの町に持ち帰り、神殿の中のダゴン像の傍らに置きました。

翌朝見ると、ダゴンの像は神の箱にひれ伏すように倒れていました。人々は元の位置に戻し翌日を迎えました。

 次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両手は切り離されて敷居のところにあり、胴体だけがそこに残っていた。(第一サムエル5:4)

ダゴンの神の像の頭が切り離された姿は、命がない、何も考えられないダゴンの神を象徴しています。両手が無いことは何もできない姿を表しています。そしてダゴンの胴体は神の箱にひれ伏しています。まことの神の偉大さが無言のうちに示されています。

 

それで彼らは人を遣わして、ペリシテ人の領主を全員集め、「イスラエルの神の箱を送って、元の場所に戻っていただきましょう。私と私の民を殺すことがないように」と言った。町中に死の恐慌があったのである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。(第一サムエル5:11)

その次に起きたことは伝染病でした。神の箱が運ばれたアシュドデの町で疫病が流行し死者が出ました。そこで、彼らは相談して神の箱を隣の町ガテに移動しました。ガテでも疫病が発生したので隣町のエクロンに送ろうとしましたがエクロンの人々が拒絶しました。

神の箱を保持すればイスラエルを従わせるための「人質」にできますが、疫病がひどくなるのはこりごりなので、ペリシテの領主たちは神の箱を返還することを決めました。

 

神の栄光は消えていません。
 人間が創作した神であるダゴンとまことの神がどれほど違うのかを、神は一言も言葉を発せずに雄弁に語られました。偶像の神はまことの神にひれ伏すだけなのです。

神の箱は、ペリシテ人に破壊されることなく、イスラエル人の助けを一切受けずに、本来あるべき場所に戻ろうとしています。

 

同じことがあなたの周囲で起きています。神は、あなたの知らない所で、神のお考えに基づき、神のタイミングで、神の方法で、あなたのために、静かに事を行っておられます。

 

□人間の作った神は、まことの神の前にひれ伏す
 □まことの神は、人の助けや保護を必要としない
 □神は、あなたの知らない場所で静かに事を行われる方


第一サムエル8:1~22 王を求める民 

「ほかのすべての国民のように」(5節、20節)王が欲しい。  私たちは「人並み」という言葉に弱いのです。人並みになればきっと幸せになれる。そう考えて、大切な自分らしさや生き方を一旦横に置き、外見だけは人並みにする人が多い。その結果、失敗します。こんなはずではなかったと嘆くこと...