2022年5月22日日曜日

エペソ1:13

このキリストにあって、あなたがたもまた、
真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いて
それを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。

(エペソ1:13)

三位一体の神

 「あなたがた」つまり、エペソの人々は、福音を聞き、納得し、信じてクリスチャンになりました。伝道者が聖書を伝えてくれましたが、異邦人のエペソ人にとっては初めて聞く神のことばでした。それは偽りのない「真理のことば」でした。またそれは、抽象的な哲学や悟りなどではなく、人々を罪と滅びから救う力のある福音でした。

 パウロは、エペソ1章において、三位一体の神とその役割を自然な流れで説明しています。
 
私たちを愛し、様々な霊的祝福を計画して下さった父なる神。(3~6節)人となり十字架につき復活して下さることにより、霊的祝福の土台を作って下さった子なる神のイエスさま。(7~12節)私たちの一番身近にいて、霊的祝福を私たちに受け取らせて下さる聖霊。(13~14節)

 

証印としての聖霊

 「証印を押されました」とあります。聖霊のお働きの第一としてパウロが取り上げたのは、救いの確証としての聖霊でした。

 私たちは自分の理解や決断で信仰を持てたと思いがちですが、実は、聖霊の助けがあってはじめて信仰告白ができたのです。ヨハネ3章において、新しく生まれる秘訣は御霊にあると主イエスはニコデモに教えておられます。

 「この御霊によって、私たちは『アバ、父』と呼びます。」(ローマ8:15)神を私たちの父として認識できるのも、また、アバ(ユダヤ人の幼児のことばで「おとうちゃん」)と親しく神を呼べるのも聖霊の助けがあったからです。

 「聖霊によるのでなければ、誰も『イエスは主です』と言うことはできません。」(第一コリント12:3)イエスさまが私の救い主であると告白することによって私たちの信仰生活が始まります。そのスタートラインにおいて、聖霊が私たちをヘルプしてくれました。聖霊なしに、信じますとは誰も言えないのです。

 「私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。」(第二コリント1:22)聖霊は私たちの信仰告白を助けるだけでなく、信じた私たちに救いの確信を下さるのです。聖霊は、私たちが神のものになったという印です。聖霊は、罪が赦されて滅びから救出されたという証明をして下さる方なのです。

 

約束の聖霊

 主イエスさまは十字架が間近になった時、弟子たちに聖霊を遣わすと約束されました。なぜそう言われたのでしょう。

「わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。」(ヨハネ16:7) 

 イエスさまが地上からいなくなってしまうのは悲しく辛いことです。けれでもイエスさまは、その事が益になると説明されました。

 「父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(ヨハネ14:16)

 助け主、つまり、聖霊は、私たちから決して離れない方なのです。聖霊はその名の通り、私たちをずっと助け続けて下さるのです。だから主イエスが地上から去っても大丈夫なのです。

 聖霊がどんな助けをして下さるかを列挙してみます。1)信仰告白を助ける、2)信仰の確証を与える、3)罪を示す、4)みことばを教える、5)共にいて慰める、6)祈りを助ける、7)道を示す、8)力を与える、9)伝道する勇気を与える、10)賜物を与える、11)聖化を促しキリストの姿に変える。

 聖霊は、こんなにも多くの事を助けて下さるのです。イエスさまの代わりになって、私たちの手を握り、ずっと共にいて下さる方なのです。こんな素晴らしい聖霊が私たちの内に住んでいて下さることは、それ自体が大きな霊的祝福なのです。

□聖霊の助けで信仰を持ち、信仰を保っている
□あなたは一人じゃない、ずっと聖霊が共にいる

2022年5月15日日曜日

エペソ1:12

それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、
神の栄光をほめたたえるためです。(エペソ1:12)

1、どんな時、神をたたえたのか

 パウロはエペソ人への手紙1章で神をたたえています。どんな状況の時に神を賛美したのでしょうか。

 パウロ個人の事情を言うと、裁判を受けるためにローマで拘置されている身で、手や足には鎖がつながれ(エペソ6:20)、裁判がいつ行われるかも見当がつきませんが、その中で賛美しました。

 若い頃は、各地を訪ねて福音を伝える生活をしていましたが、今は、歳を重ね、行動も制限され、何もできません。たくさんの奇跡を体験したパウロですが、今では過去の歴史になってしまいました。その中でも神の栄光をたたえています。

 パウロはいつも口実筆記で手紙を書いていました。パウロが語り、弟子の誰かが手紙に書くのです。宛先の人々を頭に思い浮かべながらパウロは語り始めますが、いつの間にか相手のために祈ることもありますし、途中で礼拝する事もありました。エペソ1章も、おそらくそのようにして書かれたのでしょう。

 賛美は私たちの背筋をピンと伸ばしてくれます。神をたたえますと言うと不平は消えてしまいます。パウロは何よりもまず、神をたたえました。辛い境遇でも、八方ふさがりでも、活動ができなくても、先が見えなくても、神の真実と愛と恵みは変わりないと確認し、力強く神の栄光をたたえました。これがパウロの日常でした。

 

2、どうして賛美を強調するの

 3~14節の長い文章の中で、パウロは何度も神を賛美しています。

「主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。」(3節)
 「恵みの栄光がほめたたえられるためです。」(6節)

 「神の栄光をほめたたえるためです。」(12節)

 「神の栄光がほめたたえられるためです。」(14節)

 パウロは、神から頂いた驚くばかりの霊的祝福を列挙してきましたが、それが神をたたえる理由の第一です。

 主の栄光をたたえる第二の理由は、前からキリストに望みを置いていたからです。ここでパウロは「私たち」と言いました。それはユダヤ人のことです。13節では「あなたがた」と呼びかけて区別しましたが、それはユダヤ人から見た外国人の事であり、エペソの人々もそれに当たります。

 ユダヤ人のシメオンは、「主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた」(ルカ2:26)人で、神殿で赤ちゃんのイエスさまに出会ったときには感動で震えていました。ユダヤ人は皆、旧約聖書で預言された救い主(キリスト)を待ち望んでいたので、イエスさまが救い主だと分かった喜びは外国人には分からないほど深いものでした。それゆえに、なお一層力をこめて神をたたえることができたのです。

 抽象的で分かりにくいエペソ1章ですが、パウロが手紙を書いていることを忘れてしまうほど普段通りに神を礼拝しているのだとすれば、パウロの隣りの席で礼拝しているようで私は嬉しくなります。パウロは、福音を伝える伝道者であり、みことばを教える教師でしたが、何よりも第一に礼拝者だったのです。

 パウロはプレイズソングを作詞作曲する人に似ています。エペソ1章を韻をそろえた歌詞にして、メロディーを付ければ歌えます。また、パウロは会衆の前に立つ賛美リーダーと言っても良いでしょう。「神は私たちを選び、子にしようとしてくれた、さあ賛美しよう。神は私たちの罪を赦し、大きな恵みを注がれた。さあ、神の栄光をたたえよう。もう一度、繰り返しの部分を歌おう、神の栄光をたたえよう」という感じです。

「あなたがたは代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現わしなさい。」(第一コリント6:20)

どんな状況であっても、まず神を見上げ神をたたえましょう。八方ふさがりでも、神からの霊的祝福に変わりはありません。主の栄光をたたえましょう。普段から自然に神を賛美する人になりたいですね。

 あなたの番です
 □主イエスは、私たちが待ち望んだ救い主

 □生活の中で、まず主をたたえよう

 □あなたは何をして神の栄光をたたえますか

2022年5月8日日曜日

エペソ1:11

 またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。
 すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、

 あらかじめそのように定められていたのです。(エペソ1:11)

今回の霊的祝福は、「御国を受け継ぐ」です。

御国を受け継ぐという事は実感として分かりにくい内容です。けれども、「キリストにあって」とあるように、この祝福を私たちに授けるためにキリストが深く関わって下さったことが分かります。
 「すべてのみこころ」「計画」「目的」とあるように同種の言葉を三つも重ねて強調し、どうしても御国を受け継がせたいという父なる神のお考えを明らかにしています。

「御国を受け継ぐ」という言葉は原文で一つの単語クレーローです。直訳すると「選ばれた」になり、聖書全体から考えるなら「くじを引いて土地を与えられた」という意味になります。クレーローから派生した名詞はクレロノミアで相続財産、また、クレノモスは相続者と訳されています。

旧約聖書において、イスラエルの民が神から土地を与えられるという事は最大級の祝福でした。
 「これが、あなたがたがくじを引いて相続地とする地である。」(民数記34:13)

 「割り当て地は定まりました。私の好む所に。実にすばらしい、私へのゆずりの地です。」(詩篇16:6)

 神から頂いた土地は、いわば神の国です。イスラエルの人々が安心して自由に暮らせる生活の土台でした。神の守りがあり、神のお考えが人々に浸透した空間です。<国>というものは目に見えませんが、私たちの生活に無くてはならない大事な基本環境なのです。

 旧約時代の約束の土地の概念は、新約聖書において神の国になりました。主イエスは神の国について何度も語られました。パウロの今日の言葉も主イエスの教えを土台にしています。

 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」(マタイ5:3)
 「御国が来ますように。」(マタイ6:10)

 「まず神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)

父なる神が私たちを子にしようと決めておられましたが、その目的は神の国を引き継がせ、神のすべての財産を子供たちに与えるためでした。

「ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人です。」(ガラテヤ4:7)


 私たちが主イエスを信じたことにより、私たちの内側から神の国が始まっています。

 「見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ7:21)
 
つまり、すでに御国の一部を受け継いでいるのです。その結果、罪が赦された平安、主イエスから頂いた希望、神に愛されている喜び、これらが私たちの基本環境として整えられ、私たちはその空間で主に守られながら幸いな心で生かされているのです。

「また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。」(第一ペテロ1:4) 私たちの知らない霊的財産がたくさん天に蓄えられています。

 

自分の国が侵略された人々は、目に見えなかった国というものがいかに大切なものだったかを痛感します。国は、自由や平和や基本的人権を保障してくれる基本環境だったのです。

主イエスを信じる私たちは、父なる神が与えて下さった<神の国>という霊的祝福の中に置かれています。今も神に守られているのです。神の国の市民権を持つ者として生活し神の国を広げることを心がけましょう。天に蓄えられている祝福を明日の励みとしましょう。

 「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。」(マタイ25:34)

□キリストにより、素晴らしい相続地をすでにもらっています
 □まだ見ぬ祝福が未来に待っています

 □主に与えられた御国という基本環境を感謝しましょう

2022年5月1日日曜日

エペソ1:9~10

 今まで見て来た霊的祝福は個人的な祝福でした。神に選ばれ、神の子とされ、罪が赦され、豊かな恵みを注がれて来たので、私たちは個人として大きな祝福を受けたことが分かります。今日の祝福は、他の人とつながる祝福です。人と人との分裂が修復され、ばらばらなものに調和が与えられる祝福です。すべての人が一つに集まり、礼拝し、争わず、助け合い、平和な心で幸せに生活できる祝福について書かれています。

 今日の霊的祝福にはもう一つの特徴があります。まだ未完了なのです。「神があらかじめお立てになったみむねにしがたい、時が満ちて計画が実行に移され」とあるように、神の定めたタイミングが来ないと完全には実現しません。でも、すべてがキリストにあって一つに集められる日が来ると明かされたので、私たちはその目標を目指して歩き出せるのです。様々な霊的祝福を頂いた私たちなので、周囲の人に手を指し出し、和解し、心を一つにすることができるのです。

 あらゆるものを指す時、聖書では「天にあるもの地にあるもの、一切のもの」と表現します。そうすると、キリストにあって一つに集められるのは、人だけでなく、神が創造された大自然も含まれる可能性があります。(ローマ8:18~22)公害や異常気象のない世界を私たちはあこがれます。キリストによって、自然が本来の輝きと調和を取り戻し、地球全体が神の栄光をたたえる日が来ますように。

 

 キリストにあって一つに集められる、と書かれています。聖書の色々な箇所を開いて、一つになる意味を考えてみましょう。

 ◎詩篇133:1「見よ。なんという幸せ、なんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになって、ともに生きることは。」これは、心が通じ合い、一緒にいることが楽しい状態です。

 ◎マタイ18:19「あなたがたのうち二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。」他の人と共に祈ることで、互いに信仰を励まし合い、祈りを強め合う姿です。

 ◎ヨハネ17:11「聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。」父なる神とイエスさまは深いつながりを持っていますが、私たちがその交わりの中に招かれています。

 ◎使徒4:32「さて、信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。」お金や持ち物を分かち合い、具体的に助け合う事で一体感を感じています。

 ◎ローマ15:6「そうして、あなたがたの心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父である神をほめたたえますように。」他の人と共に主を礼拝する時の一致した様子です。声に出して共に賛美するときの喜びです。

 ◎エペソ2:14「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し」世界はばらばらに分断され戦争状態になっています。個人レベルでも誰かと喧嘩別れして放置しています。主イエスに愛され、罪赦された者は、敵意を打ち壊し、仲直りして一つになれるのです。

 

 キリストにあって一つになるという霊的祝福は分かりにくいかもしれません。神が与えて下さった霊的祝福は個人的な恵みで終わりません。必ず、その人と周囲の人との関係を変えて行きます。分断から和解へ、無秩序から調和へ、冷淡から微笑みに変わって行きます。

あなたは誰と仲直りしたいですか。

夫婦の間に、家族の中に、昔の友達と、近所の人と、職場や学校の仲間との関係で、わだかまりが消えて、仲直りができて、キリストを共に仰ぎ見る日が来ますように。キリストの平和が世界に来ますように。

□キリストに会ってすべてが一つになる時が来る
 □主からの祝福は、周囲との関係改善をもたらす

 □あの人と仲直りできますように

ヨハネ20:1~18 ラボニ

 「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」(ヨハネ20:2)   マグダラとはガリラヤ湖西岸の町の名で、ティベリアの北にあります。マグダラのマリアは、ルカ8:2によると7つの悪霊を追い出して病気を癒してもらった人で、マタイ27...