2023年10月22日日曜日

エペソ6:1~9 親子と職場

人間関係のトラブルとは、強い者が弱い立場の人を支配して苦しめる場合が多いです。光の子とされたクリスチャンには人間関係を適切に導く方針が示されています。それが、エペソ5:21です。「キリストを恐れて、互いに従い合いなさい。」

豊かで健康的な人間関係を築くためには、互いが互いに仕える姿勢を持てば良いのです。

[親子]

子どもたちよ。主にあって自分の両親に従いなさい。これは正しいことなのです。(エペソ6:1)
 父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。(4節)

結婚関係について語ったパウロは、次に親子関係について説明しました。
 子供は両親に従うこと。両親は主の教育と訓戒で子供を導くこと。いたってシンプルな原則です。両親に従うという教えは十戒の言葉です。(出エジプト記20:12)両親に従うなら幸せになり、長寿に恵まれると約束されています。(エペソ6:2~3)

親の第一の務めは、「親に従いなさい」と子供に教えることです。子どもに最も大切な事を教えるのは親しかいません。その親を無視し馬鹿にするなら、大切なことを学ばずに大人になってしまいます。 

「父たちよ」とパウロは語りかけています。教育の責任者はママではなく、パパなのです。現代社会は、男が会社に出かけ、女性が家事・育児を担当するように強いて来ましたが、聖書の原則に変わりはありません。お父さんは、子供の年齢に応じて接し方を変えながら、子供たちに愛情をこめて指導して下さい。子供たちから尊敬され、相談される人になってください。

「子供たちを怒らせてはいけません」とは、子供のご機嫌取りをしなさいという意味ではありません。親の気分や気まぐれで子供に暴力を加えたり、恥をかかせる罰を与えたり、子供の話を一切聞かないなら、子供は怒ります。そうした親の態度を戒めているのです。

 親がすべきことは、教育と訓戒です。子供に道を教える事と、道を逸れた子供を正しい道に連れ戻すことです。しつけるという事は、常識や礼儀、正しい生き方、親切な生き方を教えることです。失敗した時には、「ごめんなさい」と申し出る勇気や正直さを教え、誘惑に対する防波堤となる抵抗力を育て、忍耐力や判断力を持てるよう励ますのです。教育の最終目標は子供の自立です。

初めての子育ては分からないことだらけです。私も失敗や落胆を重ね、試行錯誤してきました。ですから、父と母は天の神に祈り、助けを求めましょう。良きママ友、パパ友を持って祈り合い励まし合っていきましょう。いつか、子供が成人して、「お父さん、お母さん、育ててくれてありがとう。」と言ってもらえる日が来ます。


[職場] 

人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。(7節)
 主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。脅すことはやめなさい。………主は差別されないことを知っているのです。(9節)

 結婚、親子に触れた後、パウロは職場の上司と部下の関係を語りました。2000年前のことですから、主人と奴隷という関係になります。職場の場合は、人間関係のコツというテーマにはならず、働く者の動機に焦点が当たっています。

 働く者は主のために働くという意識が最も大事なのです。「キリストに従うように」「真心から」「キリストのしもべとして」「人にではなく主に仕えるように」と書かれています。

マネージメントの父と言われる、ピーター・ドラッカーは、会社のミッション(使命)の重要性を語りました。会社は何のために存在しているのでしょう。金をもうけて社長が贅沢するために存在するという会社ならすぐに辞めたほうが良いです。社会のため、誰かのために、製品を作りサービスを提供するという目的の明瞭な会社に勤めましょう。

 また、労働者であるあなた自身が、働く目的をしっかり持っていることは大事です。個人のミッションを持っているなら、あなたは周囲に流されることなく仕事に打ち込むことができます。

 パウロは奴隷の主人たちにも、「同じように」と注文を与えています。主人も社長もキリストのために働き、職場を監督し、奴隷たちに仕えるのです。社長や上司も、その立場にふわさしく、従業員と顧客と社会に役立つ会社になるように舵取りをするのです。

 改めて尋ねます。何のために仕事をしていますか。誰のために働いていますか。神の栄光のために仕事をしましょう。


□互いに仕え合って生きていこう。境界線を越えず支配しない。
□主の教育と訓戒で子供を育てよう。
□仕事の目的や意味を理解して、クリエイティブに取り組もう。

2023年10月15日日曜日

エペソ5:21~33 妻と夫と教会

 パウロは、光の子どもとしての歩み方を説明してきましたが、夫婦、親子、職場における人間関係について語り始めました。今回は夫婦関係を取り上げます。

「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい。」(エペソ5:22)
 「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい。」(25節)

 妻に対しては夫に従いなさいと命じ、夫に対しては妻を愛しなさいと命じました。これが夫婦関係の土台なのです。

 パウロが命令する場合はたいてい理由を説明していますが、今回は少し分かりにくくなっています。その理由は、<なぜ夫に従うのか>と<なぜ妻を愛すのか>の理由解説(Whyに対する回答)が後回しにされ、どのように従うか(How)が先に書かれているからです。もう一点、キリストと教会の関係と夫婦関係の類似性が同時に語られているからです。

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」この奥義は偉大です。私は、キリストと教会を指して言っているのです。(31~32節)

 妻が夫に従う理由は、夫と妻が一つの体だからです。パウロは創世記の言葉を引用し、夫婦は二人でなく一人だと述べています。一つの体として生きるためには頭に従う体が必要なのです。

 たとえば、私が電車に乗って名古屋市内に買い物に出かけたいと思ったとします。でも、私の足が反発して近所のコンビニに向かったら私の体は分離してしまいます。キリストのみこころを今の時代に実現するのが教会です。教会がキリストの体と言われるのはそういう意味なのです。

 

 夫に対して、妻を愛しなさいと命じられています。夫婦は一つの体なので、自分の体を大切にするのは当然のことです。夫が妻を愛すということは、自分の体をいたわるという意味です。そして、愛する者のために命を捨てる覚悟も求められています。

「同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。いまだかつて自分の身を憎んだ人はいません。むしろ、それを養い育てます。キリストも教会に対してそのようになさるのです。」(28~29節)

 キリストは私たちを罪から救うために命をささげて下さいました。(25節)バプテスマを通して私たちをきよめ、みことばにより絶えず育てて下さっています。(26節)そして、最終的には、しみや傷のない「栄光の教会」として立たせて下さいます。(27節)

 キリストが教会にされたように、夫も妻を愛し育てるようにとの勧めです。

 

 「それはそれとして、 あなたがたもそれぞれ、自分の妻を自分と同じように愛しなさい。 妻もまた、自分の夫を敬いなさい。」(33節)

 33節は結婚関係についての結論です。夫は妻を愛しましょう。妻は夫を尊敬しましょう。今まで「従いなさい」と言ってきたのに、尊敬しなさいと言い換えています。夫に従うという命令を積極的に言い直すと尊敬になるのです。

 夫婦は一つ。夫婦が愛し合い、互いに仕え合うなら、家庭はオアシスになり、社会は豊かになります。

 それと同じように、教会がキリストの願いを行い続けるなら父なる神の栄光をあらわすことができます。私たち教会とキリストとは一つなのです。

□妻と夫は一つの体です。
□私たち教会は、かしらであるキリストの体です。
□夫を尊敬しよう。妻を大切にしよう。

2023年10月8日日曜日

エペソ5:15~20 賛美と感謝

 クリスチャンの特徴とは何でしょう。自己点検する姿勢、そして、賛美と感謝をすることです。

「自分がどのように歩んでいるか、あなたがたは細かく注意を払いなさい。」(15節)

「機会を十分に活かしなさい。」(16節)

「主のみこころが何であるかを悟りなさい。」(17節)

「むしろ、御霊に満たされなさい。」(18節)

多くの人は自分を顧みずに目の前のスケジュールに追われて忙しく過ごしています。静まって自分の歩みを見つめ直しましょう。神から頂いた知恵を用いて冷静に自分の姿を問い直しましょう。

二つ目は、時代の動きに照らし合わせて自分の生き方を見つめることです。無批判に時代に流されていないか。時代の変化に気づいているか。当時は皇帝ネロの悪政の時代でした。囚人となっているパウロも自分の将来を考え、今できることは何かを考えていたことでしょう。

三番目は、人生を俯瞰して、主の大きなみこころから自分をながめてみることです。日本海側に住んでいる人から太平洋方向を見ると、日本地図は逆さまに見えます。それと同じように、神の視点からの風景もまったく違うことでしょう。神は私に何を望んでおられるのでしょう。今、ここに生きる私に、主は何を期待しておられるのでしょう。

 四番目は、自分が何に支配されていかのチェックです。あなたは何かに強く支配されていますか。毎日晩酌、毎日悪酔いという生活はありえないとパウロは言います。聖霊にゆだねて、聖霊に導かれる生活をするならば、御霊の実を結ぶ品性となり、福音を語る人になります。

 

「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって、父である神に感謝しなさい。」(19~20節)

光の子どもとして歩むために、賛美と感謝は外せません。

賛美する時、詩編をそのまま歌う場合もありました。歌い継がれている有名な賛美歌も歌いまいた。聖霊に導かれて作詞作曲された新しい歌もありました。

「歌をもって互いに語り合い」とありますが、礼拝の中で賛美の賜物のある人が立ち上がって歌い、他の人がそれを聞いて励まされるというスタイルがあったと思われます。第一コリント14:26を読むとその姿が想像できます。

私たちも礼拝の場で、周囲の人の歌う声を聞いて励まされることがあります。コロナの時代に一番失われたものは公同の力強い賛美です。それを取り戻しましょう。

賛美は神の素晴らしさをたたえることであり、礼拝の中心要素です。感謝は、主から頂いた恵みへの応答で、賛美の一種と考えることもできます。祈りがかなえられた、危険から助けられた、神から様々なプレゼントを頂いたときに私たちは感謝して言葉に表します。

ただしパウロは「いつでも、すべてのことについて」と付け加えています。どんな場面でも、気を付けて周囲を見渡すと感謝が見つかります。それを見つけるのがクリスチャンの役目です。独り言のように口に出して感謝を表してみましょう。感謝の習慣があなたを光の子にしてくれます。 

□落ち着いて自分の歩みを点検し、みこころに気づきましょう。
□誰かと一緒に賛美すると励まされる。
□すべてのことを、いつでも、感謝するのがクリスチャン。

2023年10月1日日曜日

エペソ5:1~14 光の子ども

このことをよく知っておきなさい。淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、キリストと神との御国を受け継ぐことができません。(エペソ5:6)

誘惑に負けやすい一部のクリスチャンに対してパウロは忠告しました。エペソの町が性的誘惑の多い大都会だったからです。淫らな行いをしている人々のことを三回も繰り返し(3、4、5節)注意を喚起しています。

わいせつな行為、汚れた行いなどの性的な罪は人間の快楽を安易に満たすように見えても、実は底なしの虚しさに引きずり込み、罪の奴隷にし、人々の健全な信仰を失わせ、御国を受け継ぐことを阻止するものなのです。ですからパウロは「だまされてはいけません」(6節)、「仲間になってはいけません」(7節)、「暗闇のわざに加わらず」(11節)と述べました。

「何が主に喜ばれることなのかを吟味しなさい。」(10節)とあるように、罪の暗闇に戻らないために自分の現状をよく見つめることが必要です。特に注意すべきクリスチャンの基本姿勢は「光の子」として歩んでいるかということです。

「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。」(8~9節)

光の子どもという表現は主イエスが言われた言葉です。「光の子どもとなれるよう、光を信じなさい」(ヨハネ12:36)光という言葉の代わりに「イエス」と入れてもしっくりきますね。

「子ども」とは、親から同じ性質を受け継ぐ者、成長の伸びしろがある者、純粋さや謙虚さを持っている存在と考えることができます。

性的罪に惑わされていないで、自分が光の子であることを意識しなさいとパウロは言いました。その自己意識が信仰を強め、日々の具体的生活に光が当てられるようになるのです。

「善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶ」(9節)とあります。自然光に赤、緑、紫など波長の違う光が含まれているように、聖書が語る光の中には愛や親切や善意などの人格的な温かさの部分と、正義や真実などの吟味や探求に耐えうる真理の部分が含まれています。「ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。」(1節)

主イエスを愛し、主イエスについて行こうと思う者は、自然に主イエスに似た者と変えられていきます。そして、周囲の人を照らす人になっていきます。

パウロは3年間のエペソでの活動を通じてエペソ教会の長老(=牧師)を育成し任命していました。(使徒20:31)誘惑の多い大都会であっても、光の子どもとして立派に成長する者たちもいたのです。

大都会に向学心の旺盛な若者たちが多く集まることにきづいたパウロはエペソに腰を据えて若者伝道と育成を行い地域全体に派遣しようと考えました。

その中の一人、エパフラスはコロサイで伝道して教会を創設しました。(コロサイ1:7)パウロが「ティラノの講堂」で教え続けた結果、「アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた」(使徒19:10)とあるように素晴らしい成果をあげました。

誘惑を離れ、暗闇を後にして、光の子どもとして自覚して歩み、主イエスの姿に変えられながら、周囲の人々を愛と真実で照らす人になりましょう。

□悪の誘惑を跳ね返しましょう
 □自分の姿を点検しましょう
 □あなたは光の子どもです

ヨハネ20:1~18 ラボニ

 「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」(ヨハネ20:2)   マグダラとはガリラヤ湖西岸の町の名で、ティベリアの北にあります。マグダラのマリアは、ルカ8:2によると7つの悪霊を追い出して病気を癒してもらった人で、マタイ27...