2022年1月30日日曜日

詩篇37篇

 37篇は、箴言や格言やことわざに似ています。

「悪を行う者に腹を立てるな。不正を行う者にねたみを起こすな。
 彼らは草のようにたちまちしおれ、青草のように枯れるのだから。」(1~2節)

格言や箴言の第一の特徴は、論理的であることです。37篇では、短いアドバイスの後に理由が示される場合が多いです。原文では「なぜなら」を意味する接続詞が10回も使われていて、日本語訳では「だから」(2節、9節、17節など)と訳されています。

格言や箴言の第二の特徴は、心を励ましてくれことです。疲れたり、悩んだりした時に私たちを力づけてくれるのは、「恐れるな。わたしはあなたとともにいる」、(イザヤ41:10)「ただ信じていなさい」(マルコ5:36)などの短いフレーズなのです。

37篇の第一テーマは、悪人に腹を立てるな、です。

「悪を行う者に腹を立てるな」「青草のように枯れるのだから。」(1~2節)

禁止命令には即効性があります。悪人に腹を立てても無意味です。悪者は青草だからすぐに枯れてしまいます。8~9節、20節、35~36節でも同じ内容が繰り返されています。

注意深く読むと「断ち切られる」(9節)(22節)、「へし折られる」(15節)、「滅ぼされる」(38節)とあります。自然消滅ではなく、神の裁きが行われているのです。

25節に「年老いた今も」とあるように、37篇はダビデが老年になって書いた詩篇です。ダビデほど悪者に苦しめられた人はいませんから、彼の経験に基づいた言葉には重みがあります。

 37篇の第二テーマは、主への信頼です。3~4節は極めて大切な言葉で、幸福の方程式といっても良いでしょう。暗記する価値のある重要な聖句です。

 「主に信頼し善を行え。地に住み誠実を養え。
 主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(3~4節)

 まず主を信頼しましょう。それが土台です。主を信頼する人は、人間関係、仕事への姿勢、置かれている場所の理解、幸福の基準が変化します。そのように歩み続けていると主の祝福が豊かに注がれていることに気がつきます。

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(5節)

主に信頼しているなら、自分に関わるすべての事柄、つまり、自分の人生も、経済状態も仕事も、健康も命も、主にお任せできるようになります。主と共に歩めること自体が幸せだと感じている人は、自分の願いがいつの間にか実現していることに驚くはずです。主にゆだねましょう。主は最善を為して下さいます。ただし忍耐が必要です。

 「主の前に静まり耐え忍んで主を待て。」(7節)

 詩篇37篇は、格言型詩篇として、私たちの理性と心の両方に語り掛けてくれて、これで良いのだと私たちの方向性をはっきりと示してくれます。

 □悪人に腹を立てるな。青草は枯れる。
□主に信頼し、善を行い、誠実に歩もう。

□主におゆだねしよう。主が成し遂げてくださる。

2022年1月23日日曜日

詩篇36篇

世の中には二種類の人間しかいません。神を恐れない人と神を恐れる人です。

1、悪者の姿(1~4節)

ダビデは悪者に苦しめられて来たので、悪者の心を分析してみました。悪者の根本問題は、神を恐れない心にあると結論付けたのです。

「彼の目の前には神に対する恐れがない。」(1節)

人が物やお金や権力や喜びを欲しいと願うなら、まじめに仕事したり、努力したり、貯金したり、時間をかけて正当な方法で自分のものにします。一方、悪者は努力せず、働かず、簡単に、いますぐ手に入れようとして、暴力、脅し、詐欺、嘘などを使います。つまり。「不法と欺き」を用います。自分の罪意識を消し去るために、他者の気持ちを思いやらず、物事を深く考えないようにします。

「彼の口のことばは不法と欺き。
  思慮深くあろうともせず善を行おうともしない。」(3節)

神の存在を認めず、神の正義や教えに逆らい、多くの人を傷つけながら自分の欲望だけを追求する悪者は、夜、寝床の上で明日の悪だくみをすることになります。つまり、不正な方法で入手したものは何の満足も与えないので、心を悪に支配されて、悪事を繰り返す負のスパイラルから出られなくなるのです。これも主の裁きなのです。

「彼は寝床で不法を謀り、良くない道に堅く立ち、悪を捨てようとしない。」(4節)

 

2、神の恵み(5~9節)

神を恐れる人ダビデは、神に祈り、神の言葉を大切にし、神を礼拝し、神の道を実行して来ました。つまり、神を恐れて生きてきたのです。それで彼は、神が無償で提供しておられる数々の恵みに気づいていました。5~9節で、ダビデは神を「あなた」と親しく呼びかけ、いつの間にか自然に主を賛美し始めました。

神の恵み(神の愛)、神の真実、神の正義、神のさばきは、天や山が驚くほど高く、海の底が信じがたいほど深いように、神の恵みはそれよりスケールが大きく、天の倉庫に確かに大量に備蓄されているのです。

「主よあなたの恵みは天にあり、あなたの真実は雲にまで及びます。あなたの義は高くそびえる山。あなたのさばきは大いなる淵。主よ、あなたは人や獣を救ってくださいます。」(5~6節)

神は私たちをそのままの姿で愛して下さっています。神は真実で裏切らず信頼できます。神は完全な正義を行う方で、神のさばきは公平で間違いがありません。神のご配慮は被造物全体にまで及んでいます。ダビデはこれらの事柄を体験的に述べているのです。

苦難の時に神に守って頂いた。貧しく乏しい逃亡生活でも、まるで豪邸で暮らすような安心と安らぎをもらいました。神と共にいることで、心は楽しみで潤され、生きがいや喜びが泉のようにあふれました。まるで明るい光の中で暮らしているようでした。(主イエスが信じる者に与えて下さる恵みに、光、いのち、水などがありますが、こうしたヨハネの福音書のキーワードはダビデによって既に語られていたのです)

 

3、祈り(10~12節)

悪者たちは毎晩悪だくみに追い立てられていましたが、主を恐れる者は数々の主の恵みを、無償で、努力によらず、ただ神を恐れて信頼するだけで無制限に頂けるのです。

「注いでください。あなたの恵みをあなたを知る者に。あなたの義を心の直ぐな人たちに。」(10節)   

私たちも神に大胆に祈り求めましょう。注いでください、あなたの恵みをと。

□不法と欺きでは何も得られない
 □神を恐れる人として常に歩もう

 □恵みを注いで下さい、と主に祈ろう

2022年1月16日日曜日

詩篇35篇

  「主よ私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。」(1節)

 ダビデの言葉が少しまわりくどいように感じませんか。敵と言わずに「私と争う者」と表現するのは客観的すぎます。なぜ、ストレートにこう祈らないのでしょう。私を強くして敵に勝たせて下さいと。

ダビデは敵からひどい仕打ちを四種類も受けていました。

①<罠をしかけられた> ダビデに落ち度がないのに、だまされ、ひどいダメージを受けました。「ゆえもなく彼らは隠しました。網を張った穴を私のために。ゆえもなくそれを掘りました。私のたましいのために。」(7節)

②<嘘の証言をされた> 敵はダビデの悪い噂を立て、ダビデの評価を落としました。「悪意のある証人どもが立ち私が知らないことを私に問います。」(11節)

③<恩を仇で返された> 今では敵となった相手ですが、昔、ダビデが心配したり断食したりお見舞をした間柄でした。でもすべては水の泡。「彼らは悪をもって善に報い私のたましいは見捨てられています。」(12節)「しかし私は彼らが病のとき粗布をまといました。私は断食してたましいを苦しめ私の祈りは胸の中を行き来していました。」(13節)

④<嘲笑された> いじめられて一番つらいのは、笑いものにされることです。ダビデは、敵に笑われました。「彼らは私に向かって大きく口を開け『あははこの目で見たぞ』と言います。」(21節)

ダビデは敵を第三者のように見立て「私と争う者」と位置づけました。その上で、自分で敵と戦わないことを決めました。人は、裏切られた時、感情的になり何倍も復讐をするものです。結局は悪者と同じ人間に成り下がり、後味の悪い経験をします。だから、解決は主の義にお任せしたらよいのです。
 「あなたの義にしたがって私のためにさばきを行ってください。主よわが神よ、彼らを私のことで喜ばせないでください。」(24節)

 預言者エレミヤは南王国ユダの罪を指摘し、悔い改めなければ滅びが来ると伝えましたが、それを聞いた人々が逆恨みしてエレミヤを殺そうとしました。以下の言葉がエレミヤの口から出ましたが、敵への態度が詩篇35篇と良く似ています。
 「主よ、私に耳を傾け、私と争う者の声を聞いてください。善に悪をもって報いてよいでしょうか。まことに彼らは、私のいのちを取ろうとして穴を掘りました。」(エレミヤ書18:19~20)

 パウロも35篇と同じ考え方をしています。「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい、こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの。わたしが報復する。』主はそう言われます。」(ローマ12:19)

 復讐すれば自己嫌悪に陥りますが、自分で戦わないなら主への信頼が生まれ、ダビデのように自然に賛美が生まれます。

「主よだれがあなたのようでしょう。苦しむ者をより強い者から救い、苦しむ者、貧しい者を略奪者から救う方。」(10節)

 □卑劣な敵に攻撃されたら、主に戦ってもらう 
 □復讐は義なる神にお任せし、主を待ち望み、主を賛美する

2022年1月10日月曜日

詩篇34篇

 賛美は生き方です。賛美は信仰者の基本姿勢を決めます。

「私はあらゆるときに主をほめたたえる。
  私の口にはいつも主への賛美がある。」(1節)

あらゆるときに主をほめたたえるとダビデは言いました。これはダビデの決意であり、生涯を貫くダビデの信仰姿勢なのです。そうでなければ、あらゆるときに賛美することは不可能だからです。

ダビデは、サウル王に追われて敵地ペリシテの町に紛れ込んだところを捕らえられ絶体絶命の危機に陥りました。(第一サムエル21:14〜16)ダビデはとっさに狂人のように振る舞い、髭によだれまで垂らしました。釈放されて一人になった時、おそらく人生で最もみじめに感じたでしょう。その時ダビデの口に生まれたのが今日の詩篇です。

賛美は、選び取るものです。生涯、私は主をたたえて生きると心に決めることがいちばん大事なのです。

4節以降に、主をたたえる理由が書かれてあります。主がすべての苦しみから救い出して下さったからダビデは賛美するのです。これからも助けて下さると確信を持っているので賛美するのです。

「すべて」という言葉が4回使われています。4、6、17、19節。主は、あらゆる恐怖、あらゆる悩み、あらゆる問題からあなたを救って下さいます。今、あなたの直面している悩みからも主は救って下さいます。

「私が主を求めると主は答え、すべての恐怖から私を救い出してくださった。」(4節)
 「この苦しむ者が呼ぶと主は聞かれ、すべての苦難から救ってくださった。」(6節)
 「苦しむ者が叫ぶと主は聞かれ、そのすべての苦難から救い出してくださる。」(17節)
 
「正しい人には苦しみが多い。しかし主はそのすべてから救い出してくださる」(19節)

有名な第一コリント10章13節は、こうした旧約聖書の言葉に通じていたパウロだからこそ言えた言葉だろうと私は考えています。耐えられない試練はない、必ず脱出の道がある、というパウロの言葉にダビデも賛同するはずです。

賛美してノリノリになるから賛美が素晴らしいのではありません。主を仰ぎ見て、主から輝きをもらっているから素晴らしいのです。人が輝く瞬間とは主を見上げる時なのです。「主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。」(5節)

主を味わいなさい、とダビデは皆に勧めました。主の慈しみ深さを思い起こし、何度も感謝し、主をたたえる作業は、まるで、美味しかった料理を思い出すことに似ています。あなたも主の恵みを思い出し、味わってみましょう。讃美歌は、主の慈しみ深さを味わうことを助けてくれるものです。

あなたが主を一番身近に感じたのはどんな時でしたか。それは、別れや喪失の悲しみを背負った時、途方に暮れた時、あなたの心が粉々に砕かれた時ではありませんか。

 「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ霊の砕かれた者を救われる。」(18節)

あなたも、主を賛美する人生を選ぶと心に決めて下さい。

□あらゆる時に主を賛美すると心に決める
 □主はすべての苦しみから助けて下さる

 □主の慈しみを思い起こし、味わおう

2022年1月5日水曜日

詩篇33篇

「新しい歌を主に歌え。喜びの叫びとともに巧みに弦をかき鳴らせ。」(3節)

33篇も結論から始まっています。十弦の琴に合わせて、新しい歌詞と新しいメロディーを作って主に歌おうではないかとダビデが呼びかけています。

「まことに主のことばは真っ直ぐでそのみわざはことごとく真実である。」(4節)

主を賛美をする第一の理由は、神のことばの真実さです。人は約束を破り、嘘をつき、表と裏が違います。けれども主はまっすぐなお方で、主の語られる言葉には慰めと悟りと真実があります。だから主を歌わずにはいられません。

ダビデは若い時から竪琴の演奏者として知られ、サウル王の心を音楽で癒したほどの名手でした。(第一サムエル16:18)現代風にいうなら、ギターやピアノを弾ける人はプレイズソングを自作して高らかに歌いなさいということです。宗教改革者ルターもリュートという弦楽器の奏者で讃美歌を作詞作曲し、人々はその歌を礼拝で歌いました。

「主が仰せられるとそのようになり、主が命じられるとそれは立つ。」(9節)

主を賛美する第二の理由は、神の力のすばらしさです。主は言葉によって世界を創造されました。主が仰せられると、そのようになったのです。今も世界を守り維持しておられます。主はなんと力強く威厳があることでしょう。だから賛美するのです。

「主は天から目を注ぎ、人の子らをすべてご覧になる。」(13節)

主を賛美する第三の理由は、神の愛です。主の目は、星や山や海や物質に向けられるのではなく、人にだけ向けられています。神の関心事は人なのです。私など誰も気にしていないと感じる人がいますが、神はあなたに優しいまなざしを注ぎ、あなたの心を「読み取る方」なのです。だから人は幸せなのです。そして、主を自らの神とする国は幸いなのです。

「王は軍勢の大きさでは救われない。勇者は力の大きさでは救い出されない。」(16節)

主を賛美する第四の理由は、神の守りがあることです。人は能力や財力や権力を求め人々の上に立とうとします。国のレベルでいうなら軍事力や経済力を頼りにして敵に勝ち、国々の上に君臨したいと考えます。けれども、軍勢の大きさも軍馬も頼りになりません。人の力は空しく私たちを救えないのです。力に頼らず、主に頼るなら助けをもらえます。たとえ飢饉の時も主は助けて下さいます。だから、主を待ち望みましょう。

「私たちのたましいは主を待ち望む。主は私たちの助け、私たちの盾。」(20節)

□主に目を向け、あなたが新しい歌を歌い始めよう。
 □主のことば、主の力、主の愛、主の助けは素晴らしい。

 □新しい年を主にゆだね、主を待ち望もう。

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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