2023年1月29日日曜日

創世記47:1~31

 47章には、ヤコブがエジプトで受けた3種の祝福が描かれています。そして、ヤコブがファラオを祝福した事が記録されています。

それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。(創世記47:7)

創世記47章で印象的な言葉は7節の「祝福」です。ひとりの老人ヤコブがエジプトの最高権力者ファラオを祝福しています。10節にも「ヤコブはファラオを祝福し」とあります。本来、高位の人が下位の人を祝福するものですが(ヘブル7:7)、一介の羊飼いが王を祝福しています。今日は、「祝福」をキーワードにして読み解いていきましょう。

          

 まず創世記47章を要約します。1~12節には、ヤコブと息子たち家族が無事にエジプトに到着し、ファラオに挨拶した事が書かれています。主がエジプトに下ることを恐れるなと言われたように、確かにヤコブの一族はエジプトの最良の地、ゴシェンに移住できました。ファラオはヤコブたちを歓迎し正式に移住を認めてくれました。これが第一の祝福です。外国人がエジプトに居住することを保証されたということは素晴らしい待遇です。安全な住まいと環境は祝福なのです。

 13~26節には、エジプトの社会環境の推移が書かれています。飢饉は激しさを増し、エジプトの人々は銀で穀物を買っていましたが、銀が尽きると家畜で食料を購入しました。家畜も尽きると、最後の手段、自分たちの土地をファラオに売り、自分自身をファラオの奴隷として差し出しました。
 自然災害が社会の構造を大きく変えたのです。コロナとウクライナ戦争の影響を受けた私たちも社会の変化を感じています。

またヨセフは、父と兄弟たちとその一族全員を、扶養すべき者の数に応じて、食物を与えて養った。(12節)

 ヤコブ一族の生活はヨセフによって守られていたので、社会の影響を受けず、奴隷にならずに生活できたのでしょう。これが第二の祝福です。

 27~31節にはヤコブの晩年が描かれています。ヤコブはエジプトで平安な17年間を過ごし147歳になりました。彼は自分の死期を悟って、カナンの地に葬ってくれるようヨセフに依頼しました。穏やかな長寿、これが第三の祝福です。

ヤコブはエジプトで素晴らしい祝福を主から頂きました。平和、自由、やすらぎ、健康、繁栄、喜び、愛情、調和などは神から頂いた目に見える祝福です。あなたも、主から祝福を頂いています。数えてみて下さい。

 

ところで、創世記には「祝福」という言葉が60回以上も登場します。神は、世界を創造された初めから世界と人々を祝福されました。まことの神は祝福の神なのです。主はアブラハムを選び、彼を通じて世界を祝福しようとされました。

 「わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族はあなたによって祝福される。」(創世記12:3)

周囲の人々を祝福するという役割は、アブラハムからその子イサクへ、そしてヤコブに引き継がれました。だから、ヤコブはエジプト王を祝福したのです。ヤコブの息子ヨセフも彼の周囲の人を祝福しました。

 主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を祝福された。それで、主の祝福が家や野にある全財産の上にあった。(創世記39:5)

 私たちにもアブラハムやヤコブと同じ使命が与えられています。あなたも私も、周囲の人を祝福するために生まれたのです。身近な人に福音を伝えましょう。笑顔を広げ慰めや励ましを届けましょう。

 「あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのです。」(第一ペテロ3:9)

☐主から与えられた祝福を数え、感謝しよう。
☐私たちは周囲を祝福するために生きている

2023年1月22日日曜日

創世記46:1~34

 人は大きな決断をする時不安になります。
 あなたは今、何かの決断をしようとしていますか。

イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。ベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。(創世記46:1)

ヤコブ(イスラエル)は、息子11人と多くの孫を引き連れて旅立ちました。(8~25)男だけでも70人になる大家族でした。(27節)

ヤコブはベエル・シェバで立ち止まり、神を礼拝しました。ベエル・シェバを地図で確認しましょう。ここはパレスチナ最南端の町で、目の前にはエジプトにつながる街道が通っています。

ベエル・シェバとは、ヤコブの父イサクにとって大事な場所でした。創世記26:23~25を見て下さい。神がイサクに子孫を与える、この土地を与えると約束された場所だったのです。

それだけでなく、ヤコブにとっても意味ある場所でした。創世記28:10によると、ヤコブが兄エサウに殺されそうになって逃げ出した時の実家がベエル・シェバだったのです。ですからヤコブにとって懐かしさと恥が入り混じった人生の原点でもありました。

 

神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。」(創世記46:2~3)

 ヤコブは責任者として自分の決断が正しかったのか不安になっていました。そんな時、いけにえをささげ、家族みんなで主を礼拝したのは正しい行動でした。神は夜、ヤコブの名を呼んで語りかけ、不安を解消してくれました。

 第一に、神はご自分の存在をヤコブに示されました。あなたの父を良く知っているし、あなたにもしっかり目を注いでいると言われたのです。全能の神であるわたしがここにいると言って下さいました。

 第二に、励ましの言葉を下さいました。エジプトに下ることを恐れるな、あなたと共に行くと言葉をかけて下さいました。

 第三に、約束を与えて下さいました。子孫を増やし大いなる国民とし、必ずこの地に連れ帰る。死ぬ時はヨセフがまぶたを閉じてくれるというのです。

ヤコブは神の言葉を聞き、大きな慰めと確証を得ることができました。
 あなたにも主は同じことをして下さいます。

☐大きな決断をする時は、主を礼拝しよう。
 ☐神は私たちと共にいて、励まして下さるお方。
 ☐神の約束を信じて前に進みましょう。

2023年1月15日日曜日

創世記45:16~28

 今日のテーマは、新しい環境に飛び込むことです。 
 最初に今日の聖書箇所を要約します。

ヨセフは兄達を完全に赦し、父と兄たち家族をエジプトに呼び寄せると決めました。ファラオも今回の出来事を聞いて喜び、ヨセフの家族をエジプトに招待する事に賛同してくれました。(創世記45:16~20)ヨセフは兄達に晴れ着を渡し、父ヤコブにはエジプトの豪華な品々、20頭のロバと車を送りました。(21~24節)実家に戻った兄達はエジプトで見聞きしたことを父に伝えましたが、ヨセフが生きている事をヤコブは信じられませんでした。外に出て、エジプトから贈られた車や品々を見てヤコブは納得し、エジプト移住を決めました。(25~28節)


「家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」(創世記45:20)

私たちの人生において大きな節目がいくつかあります。就職、転職、結婚、引っ越し。未来は誰も分からないので決断には不安が伴います。これらは誰かに代わってもらえず、自分で決める必要があります。

ファラオは、家財に未練を残さずにエジプトに来なさい、エジプトの最良のものを与えると約束してくれました。これは、神がアブラハムやイサクやヤコブに約束された言い方にそっくりです。この土地を与えよう。子孫を与えよう。神が祝福を約束されているなら、「家財」に未練を残さずに新しい未来に飛び込みましょう。何かを捨てなければ飛び立てません。

海外旅行する時は大きなスーツケースを持って出かけます。最初から荷物を詰め込み過ぎると、帰りにおみやけを入れるスペースがなくなるので、ちょっと隙間があるくらいが丁度良いのです。人生も同じです。忙しさや付き合いや習慣であなたの人生のスーツケースがパンパンになっていたら、神さまのための新たな奉仕もできませんし、成長の機会を逃してしまいます。

 私たち夫婦は結婚以来12回転居し、国際引越も2回経験しました。たくさんのものを捨てて辛い思いをしました。けれども、新たなものを得、新しい人と出会い、新しいことを学び、主の大きな恵みを体験することができました。三人の子供をかかえ、42歳でアメリカに移住したことは思いもかけない祝福の入り口になりました。

彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」(創世記45:27~28)

 ヤコブは、非現実的な望みを持っていました。死んだヨセフにもう一度会いたい。ところが、ヨセフが生きていると分かったので、希望がヤコブを後押しして遠いエジプトに旅立つ決心ができたのです。

 私たちにも、ファラオの約束があり、送り届けられた車があります。

エレミヤ29:11~12にあるように、神は私たちのために平安と将来と希望を与える計画を持っておられます。新約聖書の視点に立てば、エペソ人への手紙1章の霊的祝福が「エジプトの最良のもの」であり、聖霊が御国を受け継ぐ保証、つまり届けられた車なのです。

 私たちがこの世を去る時もこの世に未練を残す必要はありません。主イエスさまが私たちのために備えて下さった家があるからです。(ヨハネ14:2~3)

 ☐最良の物が用意されている
 ☐家財に未練を残さない
 ☐新しい環境と出会いに飛び込もう

2023年1月8日日曜日

創世記45:1〜15

 ヨセフはなぜ兄たちを赦すことができたのでしょう。

 ヨセフは自分が誰かを明らかにするつもりはありませんでした。自分を隠して兄たちに恐怖を与え、復讐し、ベニヤミンを残して兄たちを帰宅させるつもりでした。 

 兄たちを赦すつもりは毛頭ありません。赦せない事を悩んでもいません。赦そうと努力したこともありません。復讐することは当然の権利だと考えていたようです。


 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「皆を私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。ヨセフは声をあげて泣いた。エジプト人はその声を聞き、ファラオの家の者もそれを聞いた。(創世記45:1~2)


 ヨセフは家来を部屋から出し、突然泣き出しました。自分を制することができません。自分がヨセフであるとユダヤ人の言葉で兄たちに明かしました。


 ヨセフが態度を変えたきっかけはユダの言葉と態度でした。父ヤコブに愛されていないユダが、ベニヤミンの身代わりになり奴隷になると申し出た姿を見て、激しく心が動かされたのです。


 私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください。神はあなたがたより先に私を遣わし、いのちを救うようにしてくださいました。(5節)


 ヨセフは兄たちを一瞬で赦しました。自分を責めないでください、あなた達が私を奴隷に売ったのではなく神が私を先にエジプトに遣わしたのであり、神の計画だったのです、と述べました。

 遣わされたという言葉が5、7、8節で使われています。ヨセフは自分の使命をはっきり認識したのです。今、ここにいる意味を知った人は、誰かを赦すことができます。神の視点で物事が見えてくるので、赦せるのです。自分のプライドや過去の記憶や傷などがどうでも良い事だと感じられるのです。


 世間一般の赦しは天秤で二つのものを測るようなものです。自分が傷を負ったとします。相手が土下座し、弁償し、期待通りの方法で頭を下げて、自分のプライドが回復できた場合に赦します。自分の受けた傷と相手の謝罪姿勢を比較して合格なら赦してやるという態度です。


 ヨセフの場合はどうでしょう。今日の箇所に、兄たちの謝罪の言葉が事前にありましたか。いいえ。何らかの弁償をしましたか。いいえ。ヨセフの気持ちが晴れるような何かをしましたか。全てノーです。ヨセフは天秤にかけてオーケーを出したのではありません。赦すとはこういうことです。


 「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)


 赦す側の人は、自分が受けた傷も名誉も苦悩も損害も全部水に流します。そんなことはなかなかできるものではありません。主によってきよめられていく人は、神の姿に似てくるのです。


 

 彼はまた、兄弟みなに口づけし、彼らを抱いて泣いた。それから兄弟たちは彼と語り合った。(15節)


 飢饉はまだ5年続くので、父も家族も全員連れてエジプトに来てくださいとヨセフは語りました。そして、兄たち全員を一人一人抱きしめました。


 本物の赦しは、過去の問題を清算するだけではありません。自分を傷つけた人を大切にしながら、将来にわたってその人と共に生きていきたいという姿勢です。赦しは、過去、現在、未来を整え、未来の新しいページを開く扉なのです。その扉を開けられるのはあなただけです。


□あなたは、誰を赦しますか
□赦す人は神に似た者になる
□一瞬で、人を赦せる

2023年1月2日月曜日

創世記44:18~34

 「ユダが彼に近づいて言った」(19節)

11人の兄弟たちの前に巨大な崖のように立ちはだかったのがエジプトの最高権力者ヨセフでした。銀の杯が盗まれた事をヨセフは怒り、犯人のベニヤミンだけを残して立ち去れと命じました。誰がその言葉に逆らえるでしょうか。皆がうつむき諦めかけました。
 そんな時、四男ユダがヨセフの前に進み出てヨセフに語りました。心にはある決断を秘めていました。

 「彼に近づいて言った」ここにユダの自発性が表れています。自発性とは、船の舳先が波を切り裂いて前進するような勇気です。義務ではなく、強いられず、自分の意思で人生を切り拓いていくことにとても大きな価値があります。あなたの人生にもこのような瞬間が訪れます。主を信頼して、思い切って前に出てみましょう。あなたの一歩を自分で決めて進み出ましょう。

 ベニヤミンの証言や表情を見れば彼の無実はすぐに分かりますが、ユダは憤ったり強圧的にヨセフに対処しません。支払った銀が自分たちの袋に戻った時に神の御手を感じたように(創世記42:28)、銀の杯が発見された事は摂理として受け入れ、怒り狂うヨセフに穏やかに話しかけ、今までの経緯を順々と説明しました。

 ベニヤミンに会いたいと言われたのはあなた様です。彼を連れて来るのは骨が折れました。父が許さなかったからです。父の心はベニヤミンと結ばれています。もし彼を連れ帰らないなら老いた父は死ぬでしょう。

 私はベニヤミンの保証人になるとの約束をして来ました。ですからお願いです。私をベニヤミンの身代わりにエジプトに残して下さい。私が一生あなたの奴隷として働きこの地で死にます。ベニヤミンを解放し父を救って下さい。

 ところで、父親のヤコブは無意識に残酷な事を言ったことがありました。

あなた様のしもべ、私の父がこう申しました。『おまえたちもよく知っているように、私の妻は二人の子を産んだ。』(創世記44:27)

 ヤコブは実質4人の妻を持ち、十二人の息子がいました。けれども、本当の妻はラケルだけで、正式な子供は二人だけだと言ってはばかりませんでした。他の息子たちを無視し、ヨセフとベニヤミンだけを子供とみなしていました。

 これを聞いたユダは悲しかったでしょう。ユダの母親は父親に嫌われたレアでしたが、血のつながった親子に間違いありません。父に愛されず、認められなくても、ユダは父を死なせたくないのです。なんとしてもベニヤミンを救助し、父の命を助けたかったのです。

私が今、あなた様のしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちと一緒にいなかったら、父のいのちはあの子のいのちに結ばれていますから(30節)

ユダの視点では、父とベニヤミンのいのちは結ばれて見えました。けれども、父とベニヤミンのために身代わりを申し出たユダこそ、父とベニヤミンのいのちと結ばれていたのです。いのちが結ばれた関係でないと身代わりにはなれないのです。

というのは、このしもべは父に、『もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らなかったなら、私は一生あなたの前に罪ある者となります』と言って、あの子の保証人となっているからです。ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。(32~33節)

 主イエスの姿とユダが重なって見えてきます。

 民数記2:9によると、十二部族が荒野で行進する時はユダ族が先頭に立つように主が命じておられます。リーダーシップが長男から四男ユダに移ったことがみて取れます。救いイエスさまがユダ族の子孫から生まれていることも納得できます。(マタイ1:3)


 ☐ユダのように、自発的に前に進み出る人になろう。
 ☐誰かと心をつなごう。
 ☐主イエスは、私たちの身代わりになり、永遠の罰を受けて下さった。

ヨハネ20:1~18 ラボニ

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