2023年4月16日日曜日

ルツ記2:17~3

 嫁のルツは畑で一日仕事をして帰ってきました。義理のお母さんが夕食を準備して待っていたかもしれません。大麦の袋をどさっと置いて、ランチの残り物をお土産に出して一緒に食べ始めたタイミングで、ルツは今日一日の出来事を詳しく話したことでしょう。

ルツが担いで来た1エパ(23㍑)の大麦を見てナオミはびっくり仰天しました。落穂拾いでもらえる量としては異常なほどに多いのです。ナオミは事態を瞬時に読み取り、農園主が特別な親切を示してくれたと分かったので、祝福の祈りをささげ、感謝を表しました。(17~19節)

夕食の席で私たちは、今日起きた何気ないことを語り合います。普通の出来事であっても、信仰の目で見直すとまったく違って見えてきます。主のご配慮、御恵みを見つけることができます。感謝と賛美と安心が生まれます。日常生活は主の恵みにあふれているのです。

 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」ナオミは、また言った。「その方は私たちの近親の者で、しかも、買い戻しの権利のある親類の一人です。」(ルツ記2:20)

畑の持ち主ボアズは、ルツの親孝行、大きな犠牲、明確な信仰告白を知って、自分にできる方法でナオミとルツを応援しようと心に決めました。

ボアズがルツに親切にしてくれたとナオミは分かりました。神からの祝福がボアズさんにあるようにと二度も祈りました。生きているナオミとルツが恵みを受け、死んだ夫も息子たちも喜んでくれるだろうと考えました。神は御恵みを惜しまない方なのです。
 私たちも誰かの祝福を祈る人になりましょう。

 飢饉の時に、ナオミとエリメレクは先祖代々の土地を売り払ってモアブに逃げたのです。今は自分たちの土地を買い戻すお金を持っていません。でも、ボアズさんが望むなら優先的にナオミたちの土地を買い戻すことができます。ボアズはそういう立場の親戚だったのです。「買い戻しの権利のある親戚」という長い言葉は、贖い主という意味で、ヘブル語ではゴーエール、英語はRedeemerです。

 主イエスとボアズは似ています。普段の生活では恵みを注いで私たちを支えてくれます。そして、いざという時には大きな代価を払って私たちを買い戻してくれます。

 「私を贖う方は生きておられ、ついに、土の上に立たれる。」(ヨブ記19:25)

 ボアズさんはルツに、続けて彼の畑で働きなさいと言ってくれました。刈り入れが終わるまで働きなさい、そして、若い女たちのそばにいなさいと言ってくれましたとルツは付け加えました。(21節)ナオミは、それを聞いて喜び、それなら外国人であること、貧しいこと、新参者であることのゆえのいじめにあわなくて済むと胸をなでおろしました。(22節)

 ルツは大麦の刈り入れの初めから小麦の刈り入れが済むまでの春の期間、ボアズの畑で働くことをゆるされ、義理の母と嫁は幸せに暮らせました。

 「御恵みを惜しまない主が、その方を祝福されますように。」 


 □主は、私たちの日常生活の中に御恵みを惜しまず注がれる。 
 □今日起きた事を、信仰の目で見直そう。
 □ナオミのように周囲の人の祝福を祈る者になろう。

 

 

2023年4月10日月曜日

ルカ24:13~27

 イースターおめでとうございます。主はよみがえられました。 

主イエスは2000年前の金曜日に十字架にかかられました。その直後の日曜日の夕方、主イエスの弟子の二人がエルサレムを離れ、エマオという町に向けて歩いていました。エマオはエルサレムから西に11キロほど離れた町です。クレオパともう一人の弟子は、西日を顔に浴びながら坂道を下り、真剣に話し込んでいたのでしょう。(13~14節)

そこに、男性が一人現れ、何を話しているのですかと質問しました。二人はその男性が復活されたイエスさまだとは気づかず、顔を曇らせながら一連の出来事を説明しました。(17〜18節)

なぜ、主イエスはクレオパたちに名乗らないのでしょう。主イエスにはお考えがあったようです。

 クレオパたちは説明しました。ナザレ出身のイエスを聖書が預言して来た救い主だと私たちは信じました。人間には絶対にできない奇跡を行い、素晴らしい教えを語られました。イエスさまこそイスラエルを解放して下さる方だと期待していましたが、金曜日に十字架で処刑されてしまいました。もう何もかも終わりです。私たちは失望しました。数人の女たちが今朝墓に行ったのですが、墓は空っぽで遺体はなかった、と言うのです。何があったのか見当もつきません。天使がそこに現れて、主イエスはよみがえられたと言ったと、いうのです。彼女たちは悲しみのあまり取り乱し天使の幻でも見たのでしょう。(19~25節)

 そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じない者たち。キリストは必ずそのような苦しみを受け、それからその栄光に入るはずだったのではありませんか。」それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに解き明かされた。(ルカ24:25〜27)

 クレオパたちは2000年前の人々ですが、現代人の私たちとそっくり同じ考え方をしています。論理的で科学的でした。常識的な判断をしたはずですが、悲しみに暮れ、失望落胆し、とぼとぼとエルサレムから遠ざかる最中でした。主イエスがご自分を隠してクレオパたちと語ったり理由の一つは、復活を知らないキリスト者の姿がどんなにあわれかを示したかったと思われます。
 ああ、愚かな者たちと、彼らは主イエスに叱られました。何が問題だったのでしょう。主イエスについての説明は的を得ていましたが、すべてが過去形で、今を生きる力になりません。奇跡も教えも主イエスの愛も十字架も歴史という時間の川に流されて意味を失ってしまいました。復活の信仰を持たないなら、主イエスの御業や言葉も化石となってしまうのです。

 主イエスの十字架と復活をセットで理解しないなら、主イエスがして来たことすべてを無駄にすることになり、父なる神の愛も知恵もご計画も全否定することになるのです。

主イエスがクレオパたちに旧約聖書の預言を取り上げてどのように解説されたか、今では知る由もありません。以下のような内容だったかもしれませんね。

一人息子をモリヤの地(エルサレム)でささげたアブラハム→創世記22:2

子羊の血で救われた過ぎ越しの祭り→出エジプト記12:7

竿の先の青銅の蛇を仰ぎ見て救われる→民数記21:8

救い主は処女から生まれる→イザヤ7:14

救い主はベツレヘムで生まれる→ミカ書5:2

ガリラヤで活動する→イザヤ書9::1

ロバに乗って入城する→ゼカリヤ9:9

裏切られる→詩篇41:9、

不正な裁判を受ける→イザヤ53

裁判で弁明しない→イザヤ53:7、

捨てられる→詩篇118:22、

銀貨30枚で売られる→ゼカリヤ11:13、

十字架でとりなしの祈りをされる→イザヤ53:12、

乾きを経験する→詩篇22:15、

父なる神との関係が絶たれる→詩篇22:1、

骨が砕かれない→詩篇34:20、

槍で突かれる→ゼカリヤ12:10、

死んだままで終わらない→詩篇16:10

 クレオパたちは、主イエスの解説を聞いているうちに心が燃えてきました。(32節)復活された主イエスに直接面会することよりも、聖書の言葉をしっかりと理解できたほうが何倍も力があるのです。

 主イエスさまは、今日も、私たちの横をそっと歩いて私たちを励ましてくださいます。もしも身近にクレオパのような人がいたら、その話を全部聞いてあげましょう、そして、聖書を開いて励ましてあげましょう。

 御使いが言った言葉を心に刻みましょう。

 イエスさまが生きておられる。(ルカ24:23)

□復活を信じないなら主イエスの働きを無駄にしてしまう。
□聖書は、救い主の苦難と復活を預言していた。
□イースターは復活された主イエスをたたえる希望と喜びの日です。


2023年4月5日水曜日

ルツ記2:8~16

 ルツ記2:8~9でボアズは自己紹介もせず、ルツの話も聞かずに、矢継ぎ早に指示を与えました。他の畑に行かずにここで働きなさい。女性たちの中で働くなら安全だと。

ボアズは、自分の気持ち、理由、目的を明かさず、プロセスも述べずに結論だけを話しました。男性によくあるコミュニケーション方法です。

彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「どうして私に親切にし、気遣ってくださるのですか。私はよそ者ですのに。」(ルツ記2:10)

 ボアズは答えた。「あなたの夫が亡くなってから、あなたが姑にしたこと、それに自分の父母や生まれた故郷を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私は詳しく話を聞いています。主があなたのしたことに報いてくださるように。あなたがその翼の下に身を避けようとして来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。(ルツ記2:11~12)

 ルツに問われてボアズは、彼女を援助する理由を話しました。彼はナオミの夫の親戚だったので、ルツについて「私は詳しく聞いています」と説明しました。ルツの親孝行、故郷と父母を捨てた犠牲、神を頼って生きる信仰姿勢を知っており、感動し、尊敬し、共感していたのです。

 ボアズは、ルツの隠れた親切と犠牲と信仰に関して、主から報いがあるようにと心から言ってくれました。主イエスもあなたの隠れた行動を知っておられます。「あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている」(黙示録2:19)

 神とは母鳥のようなもので、助けを求める者に大きな翼を広げて助けてくれるとボアズは語りました。彼の信仰がにじみ出ています。「瞳のように私を守り、御翼の陰にかくまってください。」(詩編17:8)

 彼女は言った。「ご主人様。私はあなたの好意を得たいと存じます。あなたは私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。私はあなたのしための一人にも及びませんのに。」(ルツ記2:13)

 ルツはボアズの話を聞いて納得し、申し出を受け入れました。「私を慰め、このはしための心に語りかけてくださいました。」とルツは言いました。ボアズがルツの隠れた行いを称賛してくれたことでとても慰められたのです。ルツの行動や信仰に深い共感を寄せてくれたことで、心が通い合い嬉しくなったのです。

 14~16節によると、ボアズはルツと心が通じ合ったことで嬉しくなり、食べ物を提供し、落穂の量を増やすように若い者に指示しました。

 結婚相手を探しているなら、心が通じる人を選びましょう。同じ神を見上げて、魂の深い部分で共感できる人がいいですね。投げたボールをしっかりキャッチしてくれて、気持ちよくボールを返してくれる人と結婚できたら幸せです。

 すでに結婚しているなら、相手の尊敬できるところをほめ、感謝し、愛して、助けて、二人が共に幸せになれるようにしてください。今からでもボアズとルツのようになれます。

□まことの神は親鳥のように翼を広げてあなたを守ってくださる。
□あなたの隠れた愛や献身や信仰や忍耐は、誰かに知られ、神に知られている。
□夫婦は互いに尊敬を表して愛を伝えましょう。

2023年3月26日日曜日

ルツ記2:1~7

 季節は春。大麦があたり一面に実り、収穫の時を迎えました。1章はナオミの物語でした。2章からはルツの物語になります。黄金に輝く畑の景色は、若い女性が苦境を乗り越え、素晴らしい男性と出会う前触れとなっています。

 「有力な親戚がいた。その人の名はボアズであった」(ルツ記2:1)

素敵な独身男性が登場します。名前はボアズ。ナオミの夫の親戚であり、畑を所有している地域の有力者でした。 

モアブの女ルツはナオミに言った。「畑に行かせてください。そして、親切にしてくれる人のうしろで落ち穂を拾い集めさせてください。」ナオミは「娘よ、行っておいで」と言った。(2節)

ルツは外国人であり、とても貧しい女性でした。2節と6節で、ルツがモアブ人であることが強調されています。律法には、「モアブ人は主の集会に加わってはならない」(申命記23:3)と書かれていましたが、ルツがナオミの神を信じて正式に改宗者として認定されていたのかもしれません。12節でも、ボアズはルツがまことの神を信じて助けを求めたことを既に知っていました。

ルツは、初めての土地で仕事をすることにしました。「畑に行かせてください」という発言にルツの勇気を感じます。また、ナオミを経済的に支えるという決意と愛を感じます。この言葉に励まされ就職活動をしようと考える人もいるかもしれません。

外国で働きに出ると想像するだけで私たちは足がすくみます。親切にしてくれる人を与えて下さい、良い畑に導いて下さいと、ルツは祈ったことでしょう。思い切って出かけて行って、ここが良いと決めて飛び込んだ畑が「はからずも」ボアズの畑でした。
 レビ記23:22に「収穫の落ち穂も集めてはならない。」と規定されています。落穂拾いは、貧しい人と寄留者に仕事と生活の糧を与える制度でした。

 ボアズはベツレヘムから自分の畑の様子を見に来て、畑で働く人々に挨拶しました。「主が、あなたがたとともにおられますように。」(4節)

このフレーズには聞き覚えがあります。ナオミも「主が」と言って、神の恵みを語っていました。挨拶の中で自然に主のお名前を出すところにボアズの信仰がにじみ出ています。働く人々もボアズに主の祝福を願う挨拶を返し、ボアズの信仰が良い形で浸透していることがうかがえ、農夫たちからも信頼されていることが分かります。

 ルツはもちろん晴れ着を着たり、お化粧などしていません。普段着で、汗をかいて仕事をし、顔にはほこりや泥もついていたかもしれません。「あれは誰の娘か」(5節)とボアズは作業責任者に尋ねました。ボアズは、畑で働く新顔の女性ルツに目を留めました。ルツはまだその視線に気づいていません。

彼女は『刈る人たちの後について、束のところで落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。ここに来て、朝から今までほとんど家で休みもせず、ずっと立ち働いています。」(7節)

 畑の作業責任者は、ルツが落ち穂拾いをさせてほしいと申し出た挨拶と熱心な労働態度についてボアズに報告しました。挨拶がきちんとできる人、誰が見ていなくても与えられた仕事に忠実な人。そういう人は結婚相手にふさわしい人です。

この日はルツにとって就職初日と言えます。ルツは畑の全体像も、働く人々の名前や個性も、仕事の手順も何も分からなかったはずです。教えられた役割を果たしながら、一生懸命に働きました。人を見ずに、主だけ見ていたと言っても良いでしょう。

 信仰が日常生活ににじみ出るボアズ。ナオミを支えるために主を頼りに仕事を探し、人の目ではなく主を見上げて誠実に働く人がルツでした。二人とも、神を見上げる人です。神を見上げる横顔の美しい人です。

ルツが働いた畑は「はからずも」(3節)ボアズの畑でした。ルツが働き始めた「ちょうどそのとき」(4節)ボアズは畑にやって来ました。主はあなたのために、タイミングを整えて下さいます。主を信頼して、新たなステップを踏み出しましょう。


 ☐主を見上げる横顔の美しい人になろう。
 ☐ボアズのように、日常生活に信仰を生かす人になろう。
 ☐ルツのように、主を見上げて職場を見つけ、挨拶をし、誠実に仕事をしよう。
 ☐神は「はからずも」「ちょうどそのとき」を演出して下さる方。

2023年3月19日日曜日

ルツ記1:19~22

 ナオミとルツはベツレヘムを目指して歩きました。死海は海抜マイナス400m、ベツレヘムは海抜800m。つまり1200m登ることになります。その上、エリコからの山道は強盗も出る危険な場所なので(ルカ10章)二人の絆は一層強くなったことでしょう。故郷ベツレヘムが見えた時、ナオミは安堵したはずです。

 二人は旅をして、ベツレヘムに着いた。彼女たちがベツレヘムに着くと、町中が二人のことで騒ぎ出し、女たちは「まあ、ナオミではありませんか」と言った。ナオミは彼女たちに言った。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから。(ルツ記1:1~20)

 主を見上げて歩いて来たナオミでしたが、町の人の態度の冷たさに心が折れてしまいました。

 ナオミという名前は、喜びや心地よさという意味です。日本語にすれば、幸子さんや良子さんという感じです。ナオミは、マラ(苦いという意味)と呼んでほしいと言い出し、落伍者自虐モードになってしまいました。

 何がナオミを変えたのでしょう。視線を神さまから町の人々に移してしまったので、みじめになったのです。女たちの噂、人々の態度や視線に関心を向けたので心が崩れてしまったのです。

 あなたは今、周囲の人々から注目を浴び、凝視されていると感じますか。心が弱っているとそう思えるだけで、実はそれほどあなたに関心があるわけではありません。自意識過剰なのです。目を主に向けましょう。上を向きましょう。

 私は出て行くときは満ち足りていましたが、主は私を素手で帰されました。どうして私をナオミと呼ぶのですか。主が私を卑しくし、全能者が私を辛い目にあわせられたというのに。」(21節)

 自暴自棄になったナオミは神を非難しました。どんな事でもおできになる神、全能者が、私を助けてくれなかった。夫が死に、二人の息子が死んだ。全能者が私を卑しい立場に突き落とされました。つらい目に合わせた。以前はたくさん持っていたのに、今では、すべてを失った。何もない。

 こうして、ナオミは帰って来た。モアブの野から戻った嫁、モアブの女ルツと一緒であった。ベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れが始まったころであった。(22節)

 すべてを失ったとナオミは感じていました。22節の記述は、そうではないと言いたいのです。さらっと読むと、単なる要約に思えます。いいえ、違います。こんな時でも神の希望が注がれていると言いたいのです。

 すべてを失ったように見えて新しく手に入れたものがあったのです。ルツです。ナオミを尊敬し、愛し、どこまでもついて行くと献身を表明した、若くて情熱があって信仰に燃えているルツがナオミのヘルパーになったのです。ナオミはそれを忘れています。あなたの周囲にもルツがいますよ。探してください。

 もう一つ。帰って来た時期が素晴らしい。大麦の収穫が始まったときだったのです。飢饉は去り、豊かな実りが期待できました。希望が感じられるフレーズです。あなたの周りにも大麦の刈り入れが始まっています。気づいてください。

□人の目、人の態度に惑わされないこと
□落伍者自虐モードに入らないこと
□すべては失っていない、ルツが加わった
□収穫の季節が始まろうとしている

2023年3月14日火曜日

ルツ記1:15~18

嫁の一人、オルパは泣きながら実家に帰りました。けれどもルツはナオミにすがりついて離れません。ナオミは、帰りなさいと命じましたが、これで4回目になるので、(8、11、12、15節)ルツは、お母様を捨てて帰るように仕向けないで下さいと抗議しました。

 お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。(ルツ記1:16)

 実家に帰らないのは嫁の義務を果たすためではない。お母さんを尊敬しているから、お母さんが大好きで、お母さんに幸せになってほしいから、一緒にいたいからなのです。

 ルツの言葉は結婚式の誓いの言葉を連想させます。ナオミに対する約束だけでなく、17節から分かるように神に向けた約束でもあるのです。アメリカ版の結婚の誓いの言葉には「死が二人を分かつ時まで」という表現がありドキリとさせられますが、最も強い表現で結婚相手への愛を伝えいるのです。ルツも、あなたが死ぬところで私も死にますという強い愛と献身の姿勢を表わしています。

 夫婦のみなさん、結婚の誓いをもう一度思い出し、生涯それを実行しましょう。嫁や姑の立場の人ならば、ルツの愛の言葉やナオミの優しさから何かをつかんで下さい。

 

 もう一人の嫁オルパが帰った姿を見て、「自分の民とその神々のところに帰って行きました」(15節)とナオミは表現しました。モアブの女性は自分たちの神々を信じていたのです。けれどもルツは、ナオミの神が私の神になったと述べました。これは短いですが、完全なる信仰告白です。

 なぜ、ルツは聖書の神を信じるようになったのでしょう。ルツは、神の奇跡を何一つ経験していません。夫を失い悲しみの中にいたのです。神がいるなら何故こんなことになったのだと神を恨んでもおかしくありません。

ナオミに慰められたことが信仰をもつきっかけかもしれません。あるいは、ナオミの悲しむ姿を見たり、ナオミの日常生活を見て、尊敬できる人だと感じたのかもしれません。信頼できる人が信じている神を私も信じたいと思うことは、とても自然なことなのです。

 あなたが普通に生活しているだけで、誰かに神さまのことを伝えていることになります。成功したら神をあかしできると考えなくてもよいのです。人に良く見られようとメッキを塗るような生活態度には無理があり、続きません。信仰者にも喜びの日もあれば悲しみの日もあります。ありのままの姿が神を指し示しているのです。

 あなたへの永遠の誓いをしてくれたのは、あなたの配偶者だけではなく、もう一人います。イエスさまです。「あなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヘブル13:5)

 私たちを見放さない主イエスさまに感謝して、どこへでも行きます、何でもします、いつまでも一緒にいますと告白しましょう。

 ☐大切な人への約束を生涯にわたり果たしていきましょう
 ☐あなたの普段の姿が誰かに神を伝えています
 ☐信頼している人の信じている神は、私の神になる

2023年3月5日日曜日

ルツ記1:6~14

 ナオミは一人「後に残されました」。

 夫と二人の息子たちに先立たれたナオミは悲しみに暮れていたのです。1~5節には、神の名が一度も出て来ません。ナオミの祈りもありません。ところが、今日の箇所では雰囲気が変わります。ナオミの心に何が始まったのでしょう。

主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。(ルツ記1:6)

 主がパンを下さったと書かれています。普通なら、ユダ地方で飢饉が終わり収穫があったという一般情報だけが届きます。ただし、ベツレヘム付近のユダヤ人が神の御手を強く感じた場合にはその信仰が一緒に伝わってくる場合があり、それを聞いたナオミが励まされたのかもしれません。もう一つの可能性として、飢饉が終わったという一般情報を聞いたナオミが、主の御手を感じた場合も考えられます。飢饉が終わったという情報がナオミの心を明るくしました。

 主がパンを下さったと書かれてあります。「主」を主語にして物事を考えると、人生の見方が変わります。過去を振り返って「主が」という文章を作ってみましょう。自然に感謝の言葉になります。日常会話で「主が」という言葉を使うようになると、感謝の人になれます。

 7節をご覧ください。ナオミは異国の生活に区切りをつけて、家を整理しました。二人の嫁と一緒にベツレヘムを目指して旅立ったのです。ところが嫁たちの顔つきが暗くなり、足取りが遅くなるのをナオミは察知したようです。そうだ、嫁たちにはとってユダは外国。心細いことだろう。そこで、二人の嫁を解放してあげることにしました。実家に帰りなさい。再婚して新しい人生を始めなさいと伝えました。

 ナオミは二人の嫁に言った。「あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、主があなたたちに恵みを施してくださいますように。また、主が、あなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。」そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。(8~9節)

 8節と9節で、ナオミは「主が」という言葉を二回使っています。未来を意識したり、他の人を意識して「主が」と言う言葉を使うと、それは自然に祈りの言葉になります。主が必ずして下さるという期待、信仰告白になります。

 「主があなたたちに恵みを施してくださいますように」(8節)
 「主が~新しい夫の家で安らかに暮らせるように」(9節)

二人の嫁はナオミの言葉を聞いて泣きます。お姑さんとは離れませんと言ってくれました。けれども、若い二人の将来は長いのです。

11~13節は、義理の娘たちの幸福を願うナオミの気持ちがあふれています。姑の私が今晩再婚して息子を生んでも、育ってあなた方の夫になる日まで何年かかると思うの、年下の男の子なんて歌ってる場合じゃないの。ユーモアを織り交ぜながら、断固とした態度を示しました。

悲しみの中に閉じ込められていたナオミは、若い嫁たちの将来に気を使える人になっていました。年老いて一人で帰る心細さより、若い者の未来を優先できたのです。

 

あなたの番です。「主が」から始まる文章を作って下さい。

 過去のことを取り上げた人は感謝の言葉になっていますね。未来のことを考えた人は、主に信頼している人で、主が助けて下さると信じている人です。自分以外の誰かを想定して作った人は、とりなしの祈りをした人です。普段の生活でもっと「主が」と言える人になりましょう。
 ナオミは「主が」と言い始めることにより、暗闇から光の中に移り始めたのです。

☐日常生活でもっと「主が」と言おう。
☐若い誰かの未来を助けて応援してあげよう。

☐不透明な未来であっても、主を信頼して歩み始めよう。

第二サムエル4:1~12 後ろ盾

 「サウルの子イシュ・ボシェテは、アブネルがヘブロンで死んだことを聞いて、気力を失った。全イスラエルもおじ惑った。」(第二サムエル4:1)  サウルの息子で唯一残ったのがイシュ・ボシェテでした。将軍アブネルが彼を王として担ぎ上げたので体裁は整っていましたが、指導力も実績も知恵も人...